東京 ことば悦覧 2008年7月   home 

 2008年7月5日 晴れ 加山由起さん

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 その01

佐藤
:ひさしぶりです
加山:お久しぶりでございます
佐藤:2000年3月の建築あそびに来ていただいて
加山:お邪魔いたしました
佐藤:その2年後にまた来ていただいて、2回建築あそびに参加していただいているんですけども、8年経ってしまって、30才前後の独立系。東京で暮らしている人の話を聞いて歩こうと言う事で、なんで自分でやっているかとかね。いう話をお伺いしたいんですけど。それから建築あそび参加者のその後、こんな人生でしたという話を聞かせていただければと思います
加山:はい

佐藤:今回初めて加山さんが僕のHPに文字データとして登場するので、じゃ名刺交換
加山:私の名刺でございます
佐藤:加山さんの生い立ちをザット差し障りのない範囲で話してもらって。生まれた所などね

加山:生まれた所から話しますと。私祖父がですね日本画家の加山又造という人だったんですよ。加山又造ってご存じの方もご存じでない方もiいらっしゃると思うので一応説明をすると。一応日本画壇の重鎮として長年活躍した人で。2004年に亡くなったんですけども。そういう中で私は祖父が一番活躍していた1970年代の後半に生まれました。当時加山又造50代でね、日本画家のホープ。日本画家って40代は若手なんです。50代から割とこう

佐藤:ホープになっちゃう

加山:ホープになって
佐藤:日本の宝になって行くわけだ
加山:日本の宝になっていく。だから日本画壇のなかで一番注目されている画家の孫だったんですね。
佐藤:御苦労さまでした、良いような悪いような
加山:良いよう悪いような。って言うのはね、そこでね。うちの母が学生時代に祖父のモデルをしていたとか、そういう事があって。私自身の出生とかも、一部では実は先生の、じゃないかと

佐藤:隠し子だった?
加山:加山又造の子供なんじゃないかと。噂もあったりとか。うちの祖父は、当時多摩美で教授をしていた、日本画科で教授をしたいたんですけども。父も多摩美日本画科で日本画を学んでいました。父も多摩美日本画科で日本画を学んでいました。

母のほうが学年は一つ上で加山又造が担任。父の方は堀文子先生が担任で、私の両親は3年間同じキャンパスで学んでいたんです。父は祖父以外の先生から院に残るよう勧められたようですし、ある団体で新人賞も取っていたので、画家の通もあったんですが、そうしなかった。世間からは新人が突然表舞台から消えたようにも見えたかもしれません。

実は多摩美を出たあとすぐに陶芸の道に進んでいました。お爺ちゃんは日本画家。そしてお父さんは陶芸家。母親も祖父のモデルでありながら、日本画を学んでいた、多摩美の日本画研究室で。そういう風でした。私が生まれたてきた状況というのは。

佐藤:ゴシップに成りやすい環境なんだ
加山:ゴシップになりやすい、非常にグチャーットした。凄くシンプルなんだけども。判りやすい
佐藤:ふふふふふふふ
加山:だけどうち父が23才で大学を卒業して直ぐに結婚をして、24才の時に私が生まれて。一緒に伊賀に転居して番浦史郎さんとう陶芸家の処に弟子入りをしたんです。その時に
佐藤:一緒に移動したんだ

加山:一緒に移動したんです。番浦さんという方は元々京都の方で。番浦さんのお父さんというもの番浦省吾さんていう京都では気鋭の漆の、漆芸の先生で。番浦家というのは兄弟何人かいるんですけれども。全員伝統工芸の道に進んでいて、アーティストなんですね。なんで番浦史郎さんの処に父が弟子入りしたかって言うと、祖父、加山又造の妹が、その番浦兄弟の一人に嫁入りしたからなんです。

佐藤:ああそうかそうか
加山:で父が
佐藤:親戚になっちゃったんだ

加山:親戚になっちゃった。そういうところでご縁が出来て父が番浦先生の処に弟子入りして。そしたら京都系の職人さんとか。陶芸の職人さんとかが一杯いる環境で、育って
佐藤:芸術家一族が集まって完成していくって感じだ
加山:そうなんですよ。だからもう廻りがみんな芸術家で。当時祖父はそういう中で、凄く理想を描いていて。一種のこう

佐藤:新しき村ですか?
加山:新しき村です。
佐藤:新しき芸術村ですね
加山:新しき芸術村っていうのをもの凄く夢想したんですね。
佐藤:実篤先生の、そういうのが流行っていたのかな〜

加山:そういうのが流行ってたいっていうのも在りますし。それから他の人がやろうとしているのとは違うカタチで自分がやりたいというね。理想があった。
佐藤:それで、先に息子を屯田兵のようなカタチで先送り出したと
加山:それで、その場所っていうのが、番浦史郎さんの窯だった。で番浦史郎さんはもの凄くテクニカルな仕事をなさる、非常に優秀な陶芸家だったんですよ。当時は。ただ色々な事があって、若いうちに亡くなったんですけども。健康害されたりして。それでうち中では番浦史郎さんと祖父のコラボレーションの為に、家を一軒伊賀に建てたんです。非常に大きなアトリエを。そこで祖父が沢山コラボレーションをしてですね、番浦さんと。

佐藤:家が番浦さんと、お爺ちゃんのコラボレーションの場であったと。陶器にお爺ちゃんが絵をつけて、付加価値がドンドン高まって行くじゃない
加山:そうそう。でその他に色々陶芸の人とコラボレーション。これ後でまたちょっと別のものを送って差し上げますけれども。
佐藤:そうだね。番浦さんは加山さんが越境している事に対してはあんまり問題にしなかったの?陶芸だもん自分で絵付けするから良いワイって考える人もいるじゃない

加山:それがね、番浦さんという人は、番浦さんで、美的感覚が強い人で。魯山人の、要は美に王道ありっていうふうに魯山人は言ったんですね。柳宗悦
佐藤:柳宗悦と対立してたんだ、ああそうか

加山:そうなです。要は職人の仕事とか本当の芸術家の仕事はなんて言うんですかね民衆の中から生まれて来るね、好事家がつくるものとは違うものだという。本当に自分が美しいものと思って作るものっていうものは全く違うものだという考え方の人だったのです。でその魯山人の弟子の人の弟子だったんです。番浦さんは
佐藤:魯山人の孫弟子ね
加山孫弟子。うちの父はさらに弟子。と言うことは、美に王道ありって言うのが先に来ていて。美しいものを極限まで美しく。でそういう事の為には、自分の能力を超えるものがもしあれば、それを取り入れる。という事を考えて、祖父と番浦さんというのは凄く出会いがあったわけですね。

佐藤:なるほど
加山:で私はその番浦先生の作った集落で5才まで育ちました。5才まで育ったあと、祖父がというか家がですね、伊賀の本当に山奥で、一番近くの民家まで歩いて20分とかそういうような、しかも農家一軒ぽつんとあるような所ででね、子供を育てるは可愛そうだという事で
佐藤:そろそろ小学校へ入るしね
加山:湘南に引っ越して来たんです。鵠沼にちょうど祖父がアトリエを建てた頃だったので、鵠沼にしましょうと言う事で。当時祖父が身延山の久遠寺の天井画。龍の天井画を描いている時で、それを描いている。家の中100帖ある所に、ばーっと龍を描いてるところみてたんです。100帖の空間というのが、これね

佐藤:ああこれからこれか、天井に見えないね
加山:バラバラにしちゃっている。
佐藤:ここに広げて描いていたんだと、そうかそうか。こういうスケールだよと伝えるために写真を合成したんだね。

加山:そうなんです。それは篠山さんかだれかが撮ってくれた。
佐藤:本当に合成したんだ、加山又造が2人居るものな
加山:うん。二人どころじゃないんじゃない
佐藤:ああ本当だ、これが鵠沼のアトリエの様子なんだ
加山:アトリエなんです。でそこでしばらく過ごして。そこで祖父は大作を幾つか作ってですね。私はそれを見て育って。その横に父が家を建てたので。父が30才で自分の窯を持つまでは、祖父が隣で仕事をしてるって感じで

佐藤:ああこの窯がそうなの。
加山:窯はですね、1990年に大磯で祖父と一緒に建てたものなんです。
佐藤:大きいね、電気窯だね。
加山:それは電気窯ですね、その後ガス窯とかも買って。今窯が3基あるんですけども
佐藤:今も日々焼いているんだ。
加山:はい。とにかくうちの祖父っていうのは、美しものをとことん追求したい人だったんです。だけどそれがこう、ようは薄っぺらくっては全く駄目なんですよね。だからその前にもの凄く沢山世界を掘り下げていくっていう作業をしていて。その為の場所や設備や道具にお金をかけることを惜しまなかった。
佐藤:贅沢な人やね
加山:だから、実際の作業をするのに、例えばこういう作品とかって。凄く手掛かってそうに見えるじゃないですか?だけど実際にはこういう作品というのは、構想にはもの凄い時間を掛けているけども、描いてるのは2,3日なんですよ。

佐藤:ああ腕が立つというか早描きなんだな
加山:早いんです。で、そういうのを見ているとですね。横で見ているとですね。それが当たり前になって来る。それからまだまだ父親が未熟だとかね。母親がまだまだだとかね。そう言うことも判って来る。だけどそういうふうな考え方って自分はまだ何も出来ない訳じゃないですか。
佐藤:評論できちゃうけどって事
加山:評論出来るわけでないけど、何となく判る

佐藤:毎日本物ばっかり見ているからな
加山:そう。だからね、門前の小僧習わぬ経を読む。
佐藤:頭でっかちにかな?
加山:頭でっかちっていうか、見た瞬間色んな事が判ってしまうんだけれども。それをどう表現したらいいのか判らないし。

佐藤:判るけど表現出来ないっていうのはかえって辛いね
加山:そうそう。で色んな事を見てね、楽しむっていう事は出来るし、何を見ても楽しいと思えるし、素晴らしと思えるけれども。それこそ絵じゃなくってもね。あらゆる森羅万象素晴らしいと思えるけれども。だけれども空虚な処が心に中に生まれてしまったんですよ。子供の時に、凄く小さい時に、3,4才の時に。
佐藤:美に集中して人生を組み立ていくから廻りが、そこで欠落しているが本当は大量に在るわけだよね、そこを見ちゃうわけだよね。本物の反対側に膨大な世界が在ると気付く

加山:そうそうそう
佐藤:それを小さい時に感づいちゃったわけだはははははは
加山:だから何時も宇宙の事を考えていたりとか
佐藤:可愛そうな餓鬼になっちゃったわけだ
加山:そうそうそう

佐藤:ははあはははは 

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