5 海蔵寺 (北寺町)
法性山と称す曹洞宗のお寺です。当寺のもとは西方村にあった曹洞宗の巨刹東明山海善寺(西方廃寺)であるともいわれます。現在地に移り海蔵寺と改称した時期は分かっていません。寛永年間に(1624〜1644)に中興、建物は戦災で焼失、現本堂は昭和31年再建しました。
ここには宝暦治水工事で亡くなったh摩藩家老平田靭負(ゆきえ)はじめ薩摩義士の墓21基(市指定史跡)があります。寺宝として平田靭負木像(昭和3年内藤伸作)、義士を葬った際の葬い証文、薩摩焼酎徳利などがあります。平田靭負の命日である5月25日には毎年祭典供養が行われます。
薩摩義士の墓所
薩摩藩には禅宗の門徒が多く、宝暦治水工事の現場で病死したり、憤死した者は幕府の役人を憚(はばか)って夜間戸板に乗せて遺骸を持ち運び、現地には数少ない禅宗の寺々に埋葬を依頼しましたが幕府からのお達しのためかどこも断られました。
終いに揖斐川を船で下り海蔵寺を訪れたところ、第12代住職雲峰珍龍和尚は快諾し、提灯の明かりで遺骸を本堂裏の竹藪に埋葬し、読経供養して懇ろに冥福を祈ったと伝えられます。
桑名市内には海蔵寺の他に長寿院(3基)、長禅寺(1基)にも埋葬されています。
薩摩義士の墓所(市指定史跡) 平田靭負はじめ21基の薩摩藩士の墓が あります |
葬い証文(海蔵寺蔵) 切支丹禁宗の盛んであった当時、他国の者を埋葬するには一種の葬い証文を差し出させて許可しました。海蔵寺には十数通の葬い証文が保存されています。この証文は切腹したことを幕府を憚って「腰の物(刀)にて怪我いたし相果て候に付き」と説明しています。 |
平田靭負木像(海蔵寺蔵内藤伸作昭和3年) 先人たちの鎮魂碑 (社)中部建設協会桑名支部(1998)より |
地理案内図(87Kb)