HPトップへ   遍路トップへ  
       
      →巡礼十日目へ
   巡礼十一日目
 
とはずがたりと足摺岬
 
 
      第三十七番 岩本寺   第三十八番 金剛福寺  
平成30年12月31日巡礼   

  

 

    遍路を始めて3回目の冬(年末年始)を迎えた。今回は高知県西南部~愛媛県(宇和海・久万高原)を巡る首都圏からは最も遠い行程で、そのスケジューリングには苦労した。例により公共交通+歩きの内容を紹介してみたい。

 

    使用切符は右写真の「四国西南周遊レール&バスきっぷ」にしてみた。切符の内容は今回のルートとピッタリで、鉄道はもちろん足摺岬往復や宿毛~宇和島のバスも利用できて割安感に満ちている。まさに「公共交通+歩きのお遍路さん、使って下さい。」と切符のほうからささやきかけてくるようであった。 なおこの切符は平成30年度限定企画だが、四国では昨年の室戸岬同様に鉄道+バスの企画切符が設定されやすく、来訪の際はJR四国のHP等でチェックしてみたい。

 

 

四国西南周遊レール&バスきっぷ(使用後)

 

   さて今回は高知駅近くに前泊し、打ち始めは大晦日である。曇天だが雨の心配はなさそう。朝の特急「しまんと1号」に乗り窪川で下車する。本日訪れる岩本寺は実は6年前の大晦日にも(遍路としてではない)訪れているが、その時は有った駅待合室の売店が撤去されガランとした雰囲気になっていた。

    駅を出ると前回と同じく大晦日とあって沿道はひっそり。10分ほど歩いて岩本寺に着いた。

 

 

窪川駅から少し歩くと看板がある

 

    「第三十七番札所岩本寺(いわもとじ)」--- 集落を歩いていると左手に仁王門への石段がある。大晦日の午前中とあって自分の他に参拝者がおらず、お寺のかたも年末の境内清掃をされていた。荷物をベンチに置いてまず本堂へ参拝する。堂内天井には様々な絵画が格子状に配列されており、しばし見入る。 岩本寺のご本尊は歴史的沿革から五体の本尊(不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩)が安置されており、納経の際に頂いた御影にも五つの仏さまが描かれていた。

    寺のかた「どちらから来なさった?」
   自分「東京からです。」
   寺のかた「今日は大晦日だけど、この時期しか来れん人いるからね。」

 

岩本寺に着いた

 

    境内脇には土佐くろしお鉄道の線路があるが、非電化路線のため架線が無く木々に埋もれる感じで気づきにくい。参拝を終えた頃に単行のディーゼルカーが走り去っていった。

 

 

 

  
本堂と土佐くろしお鉄道のディーゼルカー

 

    さてJR窪川駅に戻り、中村方面への特急「あしずり1号」の到着まで少し時間が有ったので待合室のベンチに座る。ふと「あしずり1号」はここから土佐くろしお鉄道へ乗り入れるのだから土佐くろしお鉄道の駅舎(ほぼ隣接)から改札を通らなくてはいけないのではと気づき、ベンチを立ちそちらの駅舎へ移動した。

    よく見ると確かに「あしずり1号」はJR駅舎の時刻表には記載がなく、土佐くろしお鉄道の駅舎の時刻表にはあった。よってこちらの改札から入るのが正解・・・なのだが都会と異なり改札口はフリーパス、そして構内ではJR側と合流する道順となっていたので結局同じ、いわゆるとりこし苦労であった(苦笑)。

 

西へ西へ(浄土へ)

    

    土佐くろしお鉄道の「あしずり1号」で中村へ向かう。乗務員も窪川で交代して車内放送では四万十市の観光案内もバッチリ。戦国時代に一条氏が応仁の乱の混乱を避けてこの地に住むに至った内容もあり、地歴ファンも感服した。

    所要35分で中村下車、ここからバスに乗る。予め10分程度の乗継時間と知っていたので急いで当該バスを見つけ乗り込むが、乗ったのは自分だけで帰省客等は出迎えのクルマに吸い込まれていった。

    さてそのバスは延々2時間かけて足摺岬へ。末端区間は道幅が狭くて地元の運転士さんならでは?のハンドル捌きで辿り着いた。岩本寺から遥か94Km、歩き遍路なら3日はかかる距離である。

 

足摺岬バス停から近い

 

    「第三十八番札所金剛福寺(こんごうふくじ)」--- バス停・足摺岬に降り立ち「海っぽい雰囲気」を感じるかと思いきやそうでもない。それもそのはずで金剛福寺・足摺岬展望台・土産物屋等と海岸とは断崖絶壁で遮られており、昨年の室戸岬とは大違いなのであった。

    そんなわけで室戸岬の最御崎寺のようなバス停と境内との標高差は殆どなく、バス停近くの山門をくぐるとすぐに金剛福寺の境内が眼前に広がった。意外に参拝客が多いが、これは足摺岬観光を兼ねての参拝客のようだった。しかし一方では遍路装束の外国人のかたも参拝しており、遍路人気も実感した。

 

金剛福寺愛染堂(左)・本堂(右)

 

   その境内は写真にもあるように池を中心に据えた庭園が風情を醸し出している。自分の勝手なこじつけかも知れないが、池を配する庭園は宇治平等院や平泉毛越寺の浄土庭園を思い出させてくれる。

金剛福寺と補陀落(ふだらく)浄土信仰

    金剛福寺のご本尊は観音様で、その観音様が住む浄土は南方にあり補陀落(ふだらく)浄土と呼ばれている。そして中世以降は「補陀落渡海」という捨身行、すなわち船に乗り南方の補陀落浄土へ旅立つ修行が盛んになる。そしてこの“補陀落渡海”は自分が高校時代に読んだ中世の古典「とはずがたり」を思い出させる。

 

池を配した庭園と堂宇

 

    「とはずがたり」<足摺岬>(要旨)
  
この地に僧と小坊主が住んでいた。ある時何処からか別の小坊主がやってきたので、小坊主は自分の食事を分けて与えた。度々繰り返されるに及んで僧が「くせになるから与えないように」とたしなめた。別の小坊主はまたやってきた。すると小坊主は「主から禁じられたので今回だけ」と、また食事を分け与えた。

    別の小坊主は今までのお礼に自分の住む処へ案内すると言って小坊主を岬へと連れ出す。僧が不審に思い後をつけると、二人は舟に乗って菩薩の姿に変わり「補陀落浄土へ参ります」と言う。僧は「自分を見捨てないでくれ」と足摺をして去りゆく舟を見るよりほかなかった。差別をするとこんな目に遭うということだ。

 

足摺岬は絶壁に灯台が建つ

 

   「とはずがたり」は日記・紀行文の形態をとるが、足摺岬のくだりは仏教説話と考えても良いだろう。この話を読んでから40年経った今、自分はその足摺岬に来ている。遍路の旅がなければ遥かこの地を訪れることも無かったか…そう思うと今回の来訪には感慨深いものがあった。

   

 

          <参考>とはずがたりの原文は → こちらをクリック


足摺岬バス停、4ヵ国語表記となっている

<参考>高知駅~岩本寺~金剛福寺・足摺岬~宿毛駅
タイムテーブル
(冬季曇天・宿泊用荷物携行・長距離の徒歩なし)

    高知駅 8:20 (特急しまんと1号) 9:26 窪川駅 9:30 - 9:40 岩本寺 10:20 -10:30 窪川駅 10:57 (特急あしずり1号) 11:32 中村駅 11:42 (高知西南交通バス) 13:34 金剛福寺・足摺岬 14:40  (高知西南交通バス) 16:25 中村駅 17:32 (土佐くろしお鉄道) 18:02 宿毛駅

 

 

土佐くろしお鉄道中村駅

 →巡礼十二日目へ