---------------------------------------------------- おまけのおはなし◇1/2/3/4 ふたりきりの足音が、アスファルトの上に響いてる。人通りの少ない裏通りを選んで、歩いていくゆっくりの足取り。長い長い影が、私たちの足下から向こうに伸びていた。 「何か……すっかり遅くなっちゃったね。随分遠回りしたから、――ごめん」 そんなことないよって、私は首を横に振る。聖矢くん、今日は一日大変だったと思うよ? いきなりあんなすごいところに連れて行っちゃったこと、今でもちょっと後悔してる。それでも……最後まで一生懸命やってくれたもん。もう私は、それだけで十分だよ。
最初に弟の樹の彼女さんが発熱で倒れちゃって、その次にパパが酔いつぶれちゃって。そんな感じで何となく会もお開きを迎えた。 彼女を見送るという樹が最初にいなくなる。次にお姉ちゃんたちが岩男くんのおばあさんが待ってるからって出掛けちゃって、気が付いたら私たちふたりだけ残っていた。ママは「いいわよ、あとはこちらでのんびり片づけるから」って遠慮してたけど、聖矢くんは「大丈夫ですよ」ってきっぱり。 「素敵な彼ね、梨花ちゃん」 ママがにこにこしながら私に囁くの、ものすごく恥ずかしかった。 *** 夏本番を迎えた7月の終わりの日曜日。パパが家族が集うバーベキューパーティーを主催した。 まあ、家族がひとつの食卓を囲むのは当然だし、たまにはそれが庭の片隅にあるテーブルに場所を移したって別に不思議でも何でもない。わざわざ一ヶ月以上前から明言して全員にスケジュールを空けさせるのはちょっと大袈裟よね。何かまたパパの変な思いつきが始まったのかな、くらいに最初は考えていた。でも、実はそこにはパパなりのこだわりがあったみたいなの。 確か、5月の終わりか6月の初めくらいだったと思う。岩男くんが就職の内定をもらったその足で、我が家を訪れた。そこに居合わせたのはパパとママのふたりだけだったから詳しいことはよく分からないけど、とにかくは来年の春になったらこっちに戻ってきます、って趣旨の話をパパに伝えたかったみたい。背筋をピンと伸ばして格好良かったわよって、ママが教えてくれた。 岩男くんが、戻ってくる。それにどんな意味があるのか、私にもすでに分かっていた。 パパだって、それは承知の上だったんだろう。成人を迎えて、さらに就職すれば立派な大人。お姉ちゃんと岩男くんは、そう遠くない未来にふたりで新しい家庭を作ることになるんだ。誰が考えても当然の成り行きだし、祝福すべきことだと思う。 だからきっと――パパはパパなりに、今回のパーティーを岩男くんの就職内定とお姉ちゃんとの婚約のお祝いとして位置づけているんだわ。そういうこと表立って言うような人じゃないけど、絶対そうだと思う。「おめでとう、でもこれからもよろしく」……そんな気持ちがパパの念入りな下準備にたくさん詰まっていたんだよ。 そのパーティーに聖矢くんと一緒に参加したいなって考えた。きっと彼はそんなの嫌がると思ったし、「絶対に行かない」って言い張るかなと不安もあったわ。でも……もう私たちも付き合いだして1年になるんだよ。別に彼氏を作ることに家族の許可が必要な訳じゃないし、公表する義務もないとは思った。けど、内緒のままでいるのも、何となく心苦しくて。 自分でもこの気持ちが上手く説明つかない。我慢して我慢しきれないことでもなかったよ。もしも、今回のことでふたりの間に変な亀裂が入ったりするんだったら、その方がずっと嫌。だけど、出来ることなら聖矢くんに「飛び越えてきて欲しいな」って、思ってた。 よく分からないけど、うちの家族って巷では「カリスマ・ファミリー」とか呼ばれてるらしい。まあそのほとんどは、あの「立っているだけで目立ちすぎ」なパパがさらに派手な人目に付くことばかりをするせいだと思うんだけど。 聖矢くんも、そんなことが最初はものすごく引っかかっていたみたい。何で気にするのかなってもどかしかったけど、それだけ外野がうるさかったってことなんだろうね。私はただ、聖矢くんと一緒にいたかっただけなのに、なかなか分かってもらえなくて悲しかった。 今まで頑張れば、ほとんどのものは手にはいると思っていた。それが人の心だったとしても――すごい思い上がりだけどね。 岩男くんが大好きで、絶対にお姉ちゃんよりも大きな存在になってやるってずーっと本気で考えてたし、叶わないわけないって信じてた。何度も何度も期待しては玉砕して、それでも諦めきれなくてしがみついて。だから岩男くん以外の男の人なんて、全然興味なかったよ。私にとって、岩男くんの存在だけが全てだったから。願いがなかなか叶わないのは、自分の努力が足りないからだって。 そのあとは、……もう必死で。自分を押し込んだり丸めたりして、どうにか聖矢くんに似合う彼女になろうって思った。少しの間に聖矢くんの存在が私の中で膨らむだけ膨らんで、もうちょっとで破裂しそうになっていたから。抱きしめられても、まだ不安で落ち着かないのが本音。一晩中くっついていても、まだ足りない。 今、一番欲しいのは「自信」。ずーっとずっと、聖矢くんと同じ道を歩いていけるんだっていう「確信」。私のこと、もっともっと知って欲しい。どんな些細なことでもいいから、気付いて大切にしてもらいたい。世界にひとつしかない鼓動で、絶えず想っているよって。 ――けどなぁ、やっぱりびびるなって方が無理なんだろうね。
ほとんどのものが片づいた後、ママは用意してあったクーラーバッグを聖矢くんに手渡した。「残り物ですけど、どうぞ」って。でも、その中身はとてもひとり暮らしの彼には使い切れないほどのお肉やお野菜。聖矢くんは少し考えてから「実家に寄って行っていいかな?」って私に確認した。 聖矢くんは親元を離れてひとり暮らしをしている。と言っても、実家までは自転車ですいすい行き来出来るほどの距離なんだ。兄弟がいっぱいいて、住居スペースが足らないって言うのが理由のひとつみたい。 夕方、お家に着いたのは6時前くらいだったかな? でも一番下の弟さん以外は皆さんそれぞれに外出中。結構身構えていた私は、彼の後ろでホッと脱力してた。今年高校3年生になる妹さんの進路の相談とかで、時々こちらにはお邪魔してるの。でも、毎回かなりの緊張で未だに慣れない。 玄関先に顔を出したのは、豹雅(ヒョウガ)くん。サッカー大好き少年の小学2年生で、大好きなJリーグの選手とお揃いにしたというヘアスタイルは、いがぐりみたいにつんつんしてるんだ。 「うわ〜っ! 聖矢兄ちゃんっ……!」 大喜びでまとわりついてくるその仕草とか、ものすごく可愛い。何となく昔の樹と岩男くんを思い出しちゃう。ふたりの体型とか違いすぎるけどね。 「梨花ちゃんも、いる……」 聖矢くんに抱っこして、肩越しに恥ずかしそうに私を見るの。うんうん、そうなのよ。ちっちゃい子って本当にいいなあ〜。聖矢くんも本当に優しくていいお兄ちゃんしてるのが分かるし、何だか嬉しくなっちゃう。 それから。 何となく、彼のアパートまでの道のりはのんびりお散歩することになった。一度駅まで戻って電車に乗って、また歩いて……ってするとかなり遠回りになるんだって。バスも連絡が悪いし、だったら歩こうって。日差しが強くて気温が上がった日中が嘘のように、過ごしやすい宵の口になってた。 *** つま先に綺麗な色の石がたくさんくっついたサンダルはヒールが控えめで、見ため以上に歩きやすい。「暑くない?」って良く聞かれるけど、何となくトレードマークみたいになっちゃってる髪は垂らしたまま。一度「染めようかな」とか思ったけど、サンプルを見せてもらったら訳分からなくなってやめたの。真っ黒だと逆に目立ちすぎるから恥ずかしいんだけどね。 ふたり並んで、影法師を踏んで。途切れ途切れの会話、足音ばかりが大きく響く。 こんな風にしてると、まるで出会った頃に戻ったみたいだ。あの頃もふたり、こんな風にただ長い道のりを歩く毎日だったわ。 ――ね、何考えてるの? 聖矢くん。 彼の方を振り向くことも出来なくて、影法師に話しかける。一緒にいる間、ずーっと会話が途切れないカップルもよく見かけるけど、それに比べたら私たちって静かなものね。もともとがそんなにおしゃべりな方じゃないんだろうね、意識しないとなかなか会話が続かないよ。
今日はすごく疲れたと思うの、とくに精神的に。 いきなり、パパの猛攻撃だったものね。一体どうしちゃったのかと思ったわ。だってね、いつものパパは初対面の相手でもとにかくとてもフレンドリーなの。接客業をしてるし、色んな席にも出ていくし、もともとが営業マンだったっていうしね。だから、何となく聖矢くんともそれなりにやってくれるんだろうって、高をくくっていた気がする。 人にされて嫌なことは自分もしちゃ駄目だって、ちっちゃい頃に教えてくれたよね、パパ。自分の言葉を自分で守れなくてどうするの。聖矢くんはしっかりしてるからどうにか持ちこたえてくれたけど、うちの大学にごろごろいる「もやしくん」みたいな人だったら、あっという間に逃走しちゃうよ? 失敗したかな、やばかったかなって、ずーと心に引っかかってて。でも、そんなこと口に出せないし、ただ悶々と過ごしていたの。ふたりっきりになったら絶対に謝ろうって決めてたのに、どういう訳か言葉にならない。すごく失礼な思いやりのない女の子になっちゃってるかな、私。
「……聖矢くん」 ほら、駄目。もう続きの言葉が出て来なくなってくる。どんな風に伝えたら私の気持ちがちゃんと分かってもらえるかなって色々考えると、頭がごっちゃごっちゃ。 「うん?」 ふたりの声の隙間に、足音がいくつもいくつも通り過ぎていく。 ずーっと一緒にいたいって、絶対に嫌いにならないでって、しつこくないようにさりげなく伝えるにはどうしたらいいんだろう……? 「……あのっ……」 やっぱり言葉は続かなくて、仕方なく彼の腕にすがりつく。肩先に頬をこすりつけて、泣きたい気持ちをぐっと堪えた。 「私……、聖矢くんが好き」 ほら、また。 こんな風に当たり前みたいにしか言えない。そーっと斜めの向きから見上げたら、彼は一瞬すごく驚いた顔をして、それからふっと口元を緩ませた。 「ありがとう」 何となく、噛み合ってない会話。それでも私たちは立ち止まってキスをする。 つがいの小鳥がくちばしで会話するみたいに、くすぐったく表面を揺らしながら何度も何度も。それから、互いの背中に腕を回してきゅっと抱き合った。凝縮する体温、重なり合う鼓動、……たったふたりきりの世界。 「俺も、梨花ちゃんのこと、好きだよ? 今日はもっともっと好きになったかも」 「え……?」 意外すぎるひとことだった。思わず、聞き返しちゃう。 「聖矢、くん?」 身じろぎして、腕を緩めて。それから斜め上を見上げた。彼はすぐには返事をしてくれないで、ただ私をやさしい眼差しで見つめてる。 「梨花ちゃんがどんな風に育ってきたのか、少し分かった気がする。『カリスマ・ファミリー』とか言われて何だか敷居の高い感じに思っていたけど、そんなことないね。優しくて素敵なご両親だったよ、梨花ちゃんのことをとても大切に想ってくれてる」 「……?」 何で、そんな風に言えるんだろう。私には全然分からない。ただ、聖矢くんの声が言葉があまりにも温かくて、それでちょっとだけ目が潤んじゃった。
「あ、……それから」 急に思い出したように、彼は付け足す。 「俺、免許を取りに行こうと思って。梨花ちゃんのお父さんの話を聞いて、全くその通りだなと反省したよ。暇なうちに取得しておくに越したことないもんね。9月になると予備校のバイトも暇になるし、さっき杉島さんに聞いたら合宿免許とかいいみたいだよ? かなり効率的に進められるって」 早速色々調べてみようと思うんだ、なんて言い出すの。もう、びっくりしちゃう。 「免許を持ってれば、梨花ちゃんを助手席に乗せて色んな所にいけるしね。そう考えたら、俄然やる気が出てきたよ」 そう言って、また歩き出す。でも今度はふたりしっかり手を繋いで。指先から手のひらから伝わってくるぬくもりが、私に確かな想いを伝えてくれてるみたいだ。 そして、気付く。とても素敵な提案を。 「――じゃあ、その時は私も聖矢くんと一緒に行くわ。そうしたら、朝から晩までずっと一緒にいられるじゃない?」 ああ、何だか嬉しくなって来ちゃった。そうよ、こんな機会はあまりないもの。学生の特権を活用して、実益を兼ねてバカンスを楽しまなくっちゃ。 「え――……」 聖矢くんは少し間延びした声を出して、それから空いてる左手で頭をかいた。 「何か……梨花ちゃんの方がすんなり進みそうな気がするなあ。俺だけ規定時間で終わらなくて居残りとかになったら、すごく格好悪いよ」
――そんなこと、言ったって。もう決めちゃったわ、私。 見上げたら、ビルの向こうに細長い空。ちらちらと瞬く星たちが、明日の天気を教えてくれる。9月のスケジュール、頭の中で思い起こしながら。私は繋いだ手にもう一度、ぎゅっと力を込めた。
今度こそ、本当におしまい♪(051006)
|
|
|
|