「え、今日は帰っていいんですか?」
六時間目が終了するのと同時にダッシュでやってきたのに、とんだ肩すかし。
「指導室」の引き戸の前で鍵も開けずにあたしを待っていた大王。いつも通りに偉そうにふんぞり返って腕組みまでして。知ってるのかな、本当に強い人は、こんな風に威嚇したりしないってこと。
「そうだ、これから三学年必須課外授業の説明がある。だからお前も、さっさと家に戻って勉強しろ」
何かつじつまが合ってない気もしますけどー、それでも大王が言ってることは正論かも。何しろあたし、ちょっと気を抜いただけで、後ろを振り向いても誰もいないどん詰まりな成績を取れちゃうからね。新しい学年が始まって早々だからって、浮かれてばかりじゃいられないんだよ。
「それから、……くれぐれも余計なことに首は突っ込むな。わかったな」
とは言われてもなあ、やっぱ浮き足立っちゃうでしょう! フレッシュな吐息でムンムンな校舎内、そぞろ歩きをしているだけで至福の時よ。
「もう一度言うぞ。わかってるな、莉子」
はいはいはいー、了解しましたってば。
「では、これで失礼しま〜す!」
さあさ、そうとわかれば話が早い。こんな辛気くさい場所からは、とっとと退散! ああ嬉しいな、自分でも知らないうちにスキップしちゃったりして……やばやば。気をつけなくちゃ、まだ大王がどこからか見ているかも知れないのにっ。
そんなこんなで。
足早に戻ってきたクラス棟。自分たちの教室のある三階を駆け抜けて、さらにもうひとつ階段を上がる。ふふふ、いつもだったら「もういい加減にしてよ」と思ってしまう段数の多さも全然苦にならない。ほらほら、もうすぐ「夢の世界」へご到着〜っ!
階段を上りきると、左右に長く続く廊下には帰り支度を終えて教室から出てきた新入生たちで溢れかえっていた。その人垣をかき分けて進んでいくあたし。……そうなんだよね、人並み外れたチビだから、下級生の中にいても完全に埋もれてしまう。
「す、すみませんっ……」
誰かの身体にぶつかるたびに、そうやって申し訳なく声を上げるあたし。相手は最初「何だよ」って迷惑そうに振り向いて、だけどこっちが誰かを確かめると途端に顔色が変わる。その目つきがね、何か気に入らないわけ。いいんだけど、もう慣れたけど、……それでもなあ。
―― 何あの人、きっととんでもない不良だよ……!
やだなあ、隅っこの方に集まって、そんな風にちらちら視線を送ってきてさ。
そりゃあ、あたしはちょっと変わってるよ? 髪の毛は明るい茶色で、しかもくるくるカール。目鼻立ちも無駄にくっきりで、ぱっと見には念入りにメークをしているみたいに思える。
同じような格好をしている人がたくさんいる学校だったら、少しも違和感なかったんだけど。ウチの高校って百何十年の歴史を持つ伝統校、もともと硬派な男子校だったってこともあってやたらと規律に厳しいの。そんな中にひとりだけ場違いな人間がいたら、完全に浮きまくっちゃう。
でもこれ、生まれたまんま全く手を加えていない天然の状態なんだよなー。校則で禁止されているから、みんなと同じ色に髪を染めることも癖毛矯正をすることも無理。バターくさい顔なんて、さらに手の施しようがない。
そのことを、丸一年一緒にいた同級生やひとつ上の先輩たちは一応分かってくれてるみたいだけど、入学したての新入生にはまだまだ浸透していないんだから仕方ないよね。
……まさか、そのことを紙に書いて背中に貼り付けて歩くわけにもいかないしなあ。ああ、面倒。
「ま、気にしない、気にしない!」
物事をあまり深く追究しないところが、あたしの長所であり短所である。このうっかりな性格のため、過去に何度厄介ごとに巻き込まれたことか。でもまー、結果的に今も元気で毎日を送っているんだから、大丈夫ってことよね。
そして、ようやくたどり着く一年曙組。
え、何それって? どういう理由か知らないけど、ウチの高校クラス名が数字やアルファベットじゃないの。他には「桜」や「藤」、「寿」「雅」なんていうのもある。何か、ここまで来ると結婚披露宴のテーブルの名前みたいだよね。
「華道部です、失礼しま〜す!」
カモフラージュのために掲げ持った部活勧誘のチラシをヒラヒラさせながら、ずんずんと教室に入っていく度胸は上級生ならではのもの。ふっ、ふーん。そうよそう、あたしはあんたたちの「先輩」なんだからね? そこんとこ、忘れないで欲しい。
「何〜、またあんたなの?」
「いい加減にしなさいよね、このチンクシャ!」
だがしかし。
一歩足を踏み入れた教室では、待ちかまえていた女子たちに行く手を遮られてしまった。この子たちってね、何かすごく偉そうなの! えんじ色のネクタイのくせに、いい根性してるったら。
「あの、こういうのやめてくれる? 放課後の部活勧誘は自由に行っていいことになってるんだよ」
とりあえずは先輩らしく、威厳のある態度で接してみた。だけど、目の前にいる数名の女子たちからは明らかに「見下ろされている」状態。これじゃあ、立場がないわね。
「ふ〜ん、だったら今日は別のクラスを回ったら?」
「何も毎日この教室ばかりに来なくたっていいと思うけど」
だーかーらーっ、何でタメ口きくかなっ!? あたし、先輩なんだけど。わかってるなら、少しは尊敬しなさいって言うの!
「うっ、うっさいわねーっ!」
ここでピキッとキれちゃうあたしも、大人げないとは思うよ。でもこの扱い、笑ってスルーは出来ないでしょ?
―― と、そのとき。
「え、……ええと。ちょっと通してくれるかな?」
うわっ、いきなり出た……!
そのナチュラル・ボイスに、あたしも目の前の女子たちも吸い寄せられるように振り向いた。
「ごめんね、ありがとう。じゃあ……お先に」
ひ、ひ、ひ……ひょ〜っ。目が、目が合っちゃったっ。あれって、絶対あたしに向けられた「にっこり」だよね? うんうんっ、間違いないって。
「あ、ごきげんよう〜」
「また明日ね。お気を付けて、春日部くん!」
……ちょっと、あんたたち! いきなり声のトーンが変わってますけどっ。
そう思いつつも、うっとり見送る美しい横顔。
彼の名前は春日部修也くん。ピカピカの新入生にして、アイドル級のイケメンなのっ。もうもう、本当にすっごい完璧なんだから! 身長が高校生男子の平均よりちょっと低めなのが唯一の欠点だけど、あたしが相手なら全然問題ないよっ。
外見だけでもすごいのにね、頭脳明晰で運動神経も抜群だって。しかもそれを鼻にかけない奥ゆかしい性格! もうこれはソッコーでゲットするしかないわと思ったものの……やっぱりイイ男にはライバルもてんこ盛りだった、ってわけ。
あーあ、彼が帰っちゃったんだったら、もうこんな場所に興味ないし。
現金な奴だって思われたって構わない。だって、先ほどの性悪女子たちを始め居残っていたみんなだってさっさと帰り支度を始めているし。結局みんな、考えることは同じなのよね。
「じゃあ、華道部をよろしく! 毎週、月水金に作法室で活動してます〜!」
いやいやいや、実はもう定員オーバーなくらい仮入部員が集まっちゃってて、今から来てもキャンセル待ちになっちゃうけどねー。何しろ、部長が楓さまだし。あの清楚な外見に騙される生徒が続出なのよ。
そんなわけで、ほいほいと今来たばかりの道を戻り始めた私。相変わらず周囲の視線は気になるものの、別に後ろめたいことをしている訳じゃないから気にしないよ。だから、しっかり顔を上げて大股に歩いていく。
「あ〜っ、苑田さん!」
そしたら。
前から歩いてきた人が、あたしに気づいて呼び止める。おーっ、すごい! 良く気づいたねと褒めてあげたい気持ちになって、その声の方を見上げると。
「あっ、菅野先輩! お久しぶりです〜!」
あれれ、三年生は全員居残りじゃなかったのかな? そう思いつつも、にこにこの笑顔に癒されてしまう私。
「うん、久しぶり! 苑田さんも相変わらず元気そうだねえ……俺はちょっと忙しすぎなんだ。やっぱり部活の掛け持ちって、楽じゃないねー」
そりゃそうでしょ。この菅野先輩、なんと剣道部とダンス部を掛け持ちしている強者。ほらほら、あの伝説の「剣道ダンス」の彼よ。去年の文化祭直前にちょっとした事件が起こったときに知り合って、それからも何かとあたしのことを気にかけてくれてる。
事件が無事解決したあとに、菅野先輩はめでたくダンス部に返り咲いたわけだけど、人望が厚い彼は剣道部員たちからも涙涙で引き留められてしまった。そうなってしまうとどうにもどちらか一方に決めることが出来なくなってしまい、仕方なく今日に至るって訳。
「それで、先輩。どうして今日は一年生の教室に?」
話を続けるあたしたちの脇を不思議そうな表情で通り抜けていく一年生たち。ふふん、そうなんだよ。こんな風に「見るからに好青年」な先輩ともとっても仲良しなあたし。知る人ぞ知る、って存在なんだから。
「うん、ダンス部の見学に来たいって言う連絡を受けたんだけど、今日は急に休みにしちゃったから。そのことを本人に謝ろうかと思って」
ふうん、律儀だなあ。さすが菅野先輩だ。
「じゃ、また〜!」
そのとき、どこからかピコピコって妙な音がした。校舎内ではケータイも電源切らなくちゃ駄目だから、その手の電子音ってすっごく不自然。ハッとして辺りを見渡してみたけど、怪しい人影とかそういうのは見あたらない。
「……何?」
でもまあ、直接的被害とかないならいいか。そう思って、そのまま昇降口へと向かう。そして、上靴と外履きを入れ替えようとしたとき。ぱらり、と白い紙が足下に落ちた。慌てて拾い上げたそれは、ルーズリーフの切れ端。その中央に角張った文字がちまちまっと書かれている。
『計画性のない行動は慎んだ方が身のためですよ』
はあっ? って、周囲を見渡したけど誰もいない。あたしは宛名も差出人の名前もないメモをくしゃくしゃっと丸めると、そのままポケットへと突っ込んだ。
つづく♪ (100427)
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