オフシーズンが近くなるとロッドをいじくりたくなります。フェンウィック・ランカーギアLG65SL-2JのバットガイドをハードロイからSiCにしました。相変わらずガイド1個に5回もエポキシを調合するていたらく。久々に手に入ったフレックスコートを使ったものの、前は薄めなくてもうまくいったのに2回目のコートがデコボコに。仕方ないのでサンドペーパーでならしてから1割ほど薄め液を加えたもので再コートして仕上げました。しかしまあ、時代はニューコンセプトからマイクロガイドやKガイドなのに、いまだでっかいLVSGを巻いている私は・・・。 (2011/10/1)

 このロッドは、トップガイドのところで折ってしまったレガシーLG65SL-2の部品取りとしてヤフオクで買ったもので、1番だけをSiC化してレガシーの2番と組んでいました。しかし、レガシーのグリップがいよいよダメになったので、もともとの2番を使うことにしたのでした。

 シトロエンAXのエンジンを載せ替えたとき、エンジンのような心臓部を交換したものが、はたして元のクルマなのかどうかと思ったものです。ロッドだって2ピースの前半分を交換したら、そりゃ別のロッドでしょということです(レガシーとランカーギアは商標上名前を変えただけで製品としては同じですがそれぞれを個体として見たときに)。ロッドももともと組まれていた2番と合体させたほうが幸せでしょう。

 で、ガイドをすべてSiCとしたランカーギアは数日前投げに行ってきました(いうまでもありませんが、ボウズなので釣り場での写真はありません)。すると思わぬ距離が出て、ルアーをいくつも対岸のブッシュにプレゼントしてしまいました。ラインの放出性に関しては旧式の大口径ガイドはやはりかなりいいのです。

 もうひとつの理由は、軽く振ってもガイドの重さでしなるため、ロッドが勝手にルアーを飛ばしてしまうせいでもあります。これに対し、現在の小口径ガイドのロッドの場合、そうした要素がないためルアーの重みだけで曲がりを出して、ルアーを飛ばします。

 どっちがいいかというと、現在の小口径ガイドのほうが、人間がロッドに加わっているルアーの重みを感じやすい分、距離感がつかみやすくなります。じっさい、バックリバー66は本当に思ったところにルアーを落とせます。

 ランカーギアやレガシーは時代遅れのロッドということになりますが、これはこれでなんともいえない味があるのも事実です。昔のグラスロッドはブランク自体が重く軟らかかったのでまさしくこういう感じですし、使ったことはありませんが中実構造のバンブーロッドもこんな感じではないでしょうか。

 考えてみれば、前はレガシーでも対岸ギリギリのキャストをしていたわけで、道具が進化した分、反比例するように人間が退化しているということなのかなあとも思います。

 2011年9月24日石徹白川支流のイワナです。この日は静岡でアユ大会の取材のはずだったのですが、台風で中止になったので石徹白川に行ってきました。しかし、さすが3連休の中日、本流はエサのオッチャン、C&R区間はフライマンで満員御礼。しかも昼前になってやっとこさ釣れたこの写真のよりもちょっと大きめのイワナに、撮影寸前に逃げられる始末。今年最後(たぶん)の渓流釣行なのに悲惨やなあ・・・と思っていたら夕方になってこの魚が釣れてくれました。感謝感謝です。 (2011/9/25)

 ロッドはUFMウエダのスーパーパルサーFWS60L/C。10数年前、思いつきでハードロイガイドをSiCに巻き替えたものの、ゴールドフレームだったのでとても下品な外観になってしまい、しかもトップガイドをはずすときにブランクが焼けて1cmくらい短くなり、それ以来竿袋に入れっぱなしで放置してあったものを、今年のはじめ元のガイドに復元したものです。

 あらためて使ってみると、1cm弱とはいえトップが短くなったせいか、軽いルアーの乗りが悪くなり、渓流近距離キャストのコントロール性が悪くなったような気がしました。もっとも、オリジナル状態で最後に使ったのは20年以上前ですし、当時使ったのもバスとウグイですから、もともと渓流ピンポイントキャストでの使用感は不明です。そもそも3〜10g指定のロッドなので用途が違うといえば違いますし。

 これとかフェンウィックFSとかテーパーアンドシェイプのグラスウェイとか、けっこうグラスを持っています。そういえばフィリプソンも持っています。なぜグラスをよく使っているのかとあらためて考えたら、昔グラスのほうが釣り味がいいと思っていた名残かなと思います。

 最初に買ったルアーロッドはダイワ・サンスピンL5で、これを使ってウグイを釣っていました。その数年後、初めて買ったカーボンはダイコーGL-256HSだったのですが、これで初めてウグイを釣ったとき、竿がいったん曲がったあとすぐ勝手に起きてきて、30cmくらいあったのにリリースしたあとぜんぜん魚を釣った実感がないように感じました。サンスピンを使っていたころは20cmくらいのウグイがかかっても体に電気が走るような衝撃があったものです。

 だから、その後ずっと私はグラスのほうが釣り味がいいと思ってきたのですが、実際にはロッド材料のせいではなく、サンスピンを使っていたのが新鮮な気持ちでルアーを投げていた時期だったからなのだろうといまは思っています。

 だから、グラスロッドを使ったからといって、あのころの新鮮な感動が帰ってくるわけではないのはもう分かっているのですが、なんだか使ってしまうのです。

 私人間失格みたいです。ちょっと前、鉢呂経産相が福島の避難区域視察のあと「放射能つけちゃうぞ」というしぐさをしたとかで、辞任に追い込まれました。テレビに出てくるキャスターとかコメンテータの人は「人間性を疑う」みたいに口を極めて非難していました。でもねえ、正直に言っちゃうと、私がもし同じようなところから帰ってきたところで、相手がごく親しい人だったら、鉢呂氏みたいなことをうっかりやっちゃうような気がするんです。きっと私は被災者の身になって考えることもできない冷血漢なんでしょう。それにしても、あそこまで厳しい言葉で非難できるテレビの人たちは、生まれてこの方その手の悪ふざけを一度たりともしたことがない清い心の人ばかりなんでしょうね。陰では「怪しいお米セシウムさん」のクセに・・・。 (2011/9/17)

 相手は新聞記者なのに・・・というところですが、記者というのはコメントを引き出すために親しいふりをするんでしょ。でもって、人のいい議員がうっかりボロを出すとヤクザに豹変するわけで、恐ろしい人種です。

 「放射能つけちゃうぞ」は第一報を報じたフジテレビの記者が実は現場にいなかったという話もあるそうです。その前の「死の町」発言に至っては今年5月に国会で当時の厚労相が「死の町」と言っているのに、そのときはまったくニュースにならず、なぜか今回だけ大騒ぎです。

 鉢呂氏は脱原発派で、15人の委員のうち12人が原発推進派で占められている総合エネルギー調査会の委員を賛成反対半々にしようとしていて、“失言”事件が起きたのはその記者発表直前だったとか。怪しいです。

 私は、そもそも鉢呂氏を経産相に指名したこと自体脱原発派つぶしの陰謀だったのだと思っています。経産相になればまず福井や九州に行って点検で止まっている原発の再稼働を要請しなければなりません。そういう映像がテレビで流されれば、脱原発派だった鉢呂氏のイメージは壊れていくでしょう。元々そうした目的の人事だったところへ、おあつらえ向きの失言が出たからメディアを利用して袋叩きにしてとっとと辞任に追い込み、「直ちに影響はない」人にすげ替えたというところではないでしょうか。

 政敵つぶしにポストを利用するなんてあるわけないだろ、陰謀論に染まるなんてやっぱりこいつアホやなですって? そんなことはないよロバくん(リンクに意味はありません)。

 思い出すのは、90年代中ごろの自社連立村山政権での野坂建設大臣です。建設大臣に任命された野坂浩賢は、長良川河口堰建設に反対する署名をしていました。野坂の所属する社会党も反対の立場でした。しかし野坂は建設省に洗脳され(当時の新聞の表現)、長良川河口堰の運用にGOをかけてしまいました。

 あのとき社会党は自衛隊合憲、日米安保維持と政策を大きく変えましたが、あの時点でけしからんという人はあまりいなかったのではないかと思います。しかし、長良川河口堰に関しては、これすら主張を変えるのかと、特に環境保護派の信用をなくしました。そして社会党は事実上消滅、自民党のもくろみは大成功に終わったというわけです。

 私は鉢呂氏が経産相になった時点で、このときのことを思い出しました。同氏は北海道の農協を基盤にした議員で、経産省の官僚に対峙できるだけの知識やブレーンは持っていなかったのではないかと思います。それを見越しての指名を本人も自覚していて、内心「困ったなあ」くらいに思っていたのではないでしょうか。そこへもってきて「死の町」発言が伝えられたとき野田首相はまったくかばうそぶりも見せず「撤回、謝罪すべし」と切って捨て、党内からも批判が相次ぎました。やっぱりなと思った鉢呂氏は、大して抵抗することなく辞任したのではないでしょうか。鉢呂氏は旧社会党系ですから、野坂浩賢のことも十分意識していたはずです。

 少し前、自民党の受けていた政治献金の実に7割超が電力業界だったと新聞等が伝えました。竹中工務店OBによると、河口堰やダムなどの公共事業は事業費の3%を献金としてキックバックする闇のルールがあるそうです。民主党だって半分は自民党由来の議員です。政治の力で儲けさせた業界から献金がっぽり・・・みんなグルってことですね。

 写真は栃木県那珂川のアユ大会。被災地に近いから使っただけで特に意味はありません(ほんとはちょっとあるけど)。

 2011年8月27日五三川のバスです。またバスかよ、しかも前の写真の前日・・・って、だって、昨日犀川に行ったけどボウズだったんだもん。まことに遺憾ながら、この魚もゲイリーグラブでした。ソフトルアーがどうのというくらいならフライを持ち出せばそれ以上の効果があるはずです。投げて楽しむならバンタム100でも使ったほうがよさそうです。でも、ここは水がめちゃくちゃ汚くって、フライラインを触る気にならないし、ベイトはスプールから飛ぶ水しぶきに顔を背けなければなりません。どのくらい汚いかというと、町長(当時)が魚も捕ってない町民に「俺が長良川河口堰の補償金をもらってきてやるから、今のうちに漁協に入っておけ」と言ったり、川漁師が「俺は河口堰なんてどうでもええんや。銭さえもらえりゃあな」と言ったりするK町(今は市)の人の心くらいですわ。 (2011/9/11)

 ロッドはフェンウィックのクラシックグラスFS65です。おっさんはワシのマークとバットのクロス巻きに弱いのですな。このシリーズは90年代後半から00年代初めくらいまで、復刻のような形で展開されました。

 最初は149、FS53、61、65、PLS65、70で、バットのクロス巻きがなくガイドに富士工業製でないものが使われていました。次に富士工業(昔自社以外のガイドの付いたロッドが入ってこないか税関で社員がはっているといううわさも聞いたことがある)に叱られたのか、ハードロイガイド(青白い灰色のアルミナガイド)に変更され、写真のクロス巻きが入ったころは茶色いOリング(たぶん)ガイドになっていました。

 続いて149、FS53、61のウルトラライトだけをSiCニューコンセプトにし、リールシートを富士ではなく昔風のブラウンのアルミにしたものが出ました。このシリーズの61は持っています。たぶんここまでは、アメリカ仕様とブランクが共通だったと思うのですが、次に専用ブランクにしたという50、56、60が出ました。56は赤や青も作られました。その後リコイルガイドの記念モデルFS55が出たのを最後に、このシリーズは終わりました。

 で、ロッドとしてはどうか? SiC61はそれなりに味があると思うのですが、写真の65は・・・ですな。フェンウィックの2ピースはそういう傾向があるみたいですが、いきなり1番が中ほどから曲がりはじめ、2番は関係なく突っ張っている感じ。しかもジョイントの補強が過剰で真ん中が硬いため、先から順にカーブのピークが下りてくるのではなく、ジョイントから先だけがしなる感じです。

 65は昨日も犀川で投げていましたが、少し力を入れて振るといきなりフライになります。私の持っている竿ならテーパーアンドシェイプなどは、入れた力に応じてカーブの頂点が移動するため、力の入れ方を変えても弾道はあまり変わりませんが、フェンウィックは1番だけが腰砕け的に曲がるため、弾道の狂いが大きいのではないかと思います。

 でも、フェンウィックが全部そうかというと、ワールドクラスWC83SML-2はもっとまともな感じです。これは00年代前半くらいの竿ですが、このころ以降のは日本側で直接工場にオーダーしたものにフェンウィックブランドを入れていたのかなと想像します。FSも50、56、60などはそういうものだったのではないでしょうか。

 それでは日本の竿ではないかという人もいそうですが、ダメなところは直せばいいのだし、竿はリールと違って仕向け地向けに作りわけしやすい商品ですから、消費地側で開発するのがベストです。そもそも、90年代以降のフェンウィックはすでにバークレイ/ピュア・フィッシング傘下であって、過去とのつながりがあるかどうかも怪しいのですから、直接開発をありがたがることはないでしょう。

 ついでにいえば、私の持っているフェンウィックは90年代の台湾製以降であって、往年のものは知りません。写真のFS65が往年からこんな調子だったのかどうかは不明です。ミッチェルやアブのように、欧米メーカーの黄金期は70年代までであって80年代以降はがたがたですから、復刻クラシックグラスシリーズがちゃんと調子出ししたものでなかった可能性もあるのではないかと思います。そういえばこのシリーズはFS53も持っていましたが、べろんべろんでとても使えたものではありませんでしたし・・・。

 2011年8月28日五三川のバスです。なぜか27、28日とバス釣りになってしまいました。バスを釣りに行ってバスを釣ったのは15年ぶりくらいではないでしょうか。忠さんのスプーンかフローティングラパラ、最悪でもエコギアアクアで釣るハズだったのですが、エコギアアクアがなくなるとともに(だって6個しか入ってないんだもん)、手はゲーリーグラブに・・・。非生分解のソフトルアーは使わんはずやなかったのか。堕落だあ。 (2011/9/2)

 一応ジグヘッドはタングステンですけど・・・(そんなもん言い訳になるか)。

 私ソフトルアーは基本使わないこともあって、ゲーリーグラブしか知りません。これを知ったのはS社の新入社員研修をしていたころ、独身寮の近くにあった鶴田池だったか元禄池だったかに同期の人間とバス釣りに行ったときのことでした。私は琵琶湖でフローティングラパラばかり使っていたので、それを投げたのですが、大阪のスレスレポンドですから釣れません。

 みんな釣れなかったのですが、どこかのおじさん(お兄さん?)がこれがいいよといって、ジグヘッドとゲーリーグラブをくれたんですね。そして釣り方も教えてもらい、そのとおり釣っていたら30センチを越えるくらいのバスが釣れました。同期の人間には「やっぱりかわいい顔しとるからルアーももらえるんや」といわれたものです(これは自慢なのか?)。

 釣って楽しんどいてなんですが、バスは何か割り切れないものが残る魚です。中学高校のときは(いまよりずっときれいな)揖斐川でウグイやニゴイばっかり釣っていましたが、特にバスを釣りたいとは思いませんでした。それ以前に近くにいませんでしたし。生態系がどうのとまではいきませんでしたが、釣りのために自然環境を変えてはいけないだろうと思っていました。ウグイやニゴイ、ナマズなど日本の魚を釣るほうが立派な日本のルアーフィッシングだと思っていました。

 大学に入って住んだ京都には、当たり前に思っていた“川”がありませんでした。月刊フィッシングで見て憧れていた宇治川はただのドブでした。それでもハスやニゴイ、ナマズを釣りに行っていましたが、やがて飽き足らなくなり、琵琶湖に行くようになりました。当時バスはよく釣れました。釣り人とは浅ましいもので、釣りが楽しめればポリシーもどこへやらです。

 S社に入ってからもクルマを買ってからは琵琶湖の北へよく行ったものです。岐阜へ帰ってきてからも90年代はけっこう湖北(1時間かからない)へ行っていました。バスブームが加熱して、菅浦ややまなし(漢字忘れた)が立ち入り禁止になったころから、なんだか嫌気が差してやめてしまいましたが、それまではなんだかんだと通っていたものです。

 ただ、そんな時期でも常にバスには何か引っかかるものがありました。生態系がどうのとたいそうなことをいうつもりはありませんが、やっぱり何か違う気が常にしていました。かといって、バスやバス釣り師を叩いて正義の味方気取りの人には反発を覚えるわけで、まったくもってどっちなんだですけど。

 ゲーリーグラブで15年ぶりにバスを釣って、やっぱりあのなんだか割り切れない気持ちを思い出しました。ついでに、堺にいたころのことも思い出しました。もう24年も経ったのですね。

 2011年6月13日魚野川のヤマメです。最近魚釣ってなくって欲求不満です。ロッドはテーパーアンドシェイプ・バックリバーの76です。66はグリップを替えてしまいましたが、この76とジャパントラウトの53はいじってません。53は少しネジ部が短くてフロントコルクに親指がかかるし、76はダブルハンドで投げるのでそのままにしています。この日は忠さんの家に行った日でした。まだ詳しいことはふせておきますが、願いはいつかかなうものなのですね。 (2011/8/25)

 このロッドは2010年5月にトラウター78のティップを折ってしまったので、代わりに買ったのでした。この会社のロッドを買ったのは2009年の53と66からです。

 その2009年以降に買った釣り具を挙げてみると、テーパーアンドシェイプ・ジャパントラウト53、同バックリバー66と76、ダイワ・10セルテート2004、シマノ・ストラディックCI4 1000F、2500F、渡辺つり具店・フレックスULスピン60で作ったベイトロッド、同じくクイックテーパー86MLで作ったベイトロッド、アブ・アンバサダーレコード40、オリムピック・フィネッツアヌーヴォ76ULT、シマノ・11ツインパワーC2000HGS、ダイワ・10セルテート2004CH、となります。なおヤフオクなどで買った旧型リールは除いています。

 うむ、立派。

 なにが立派かというと、ストラディックCI4を除くと人件費の安い国で作った製品がないことです。ほとんどが日本製で、アンバサダーは日本以上にリール作りに不利な福祉国家スウェーデン製です。この前買ったゴアテックスウェーダーも日本製のリバレイにしました。クルマも今のタイランド製になる前のだから日本製です。

 人件費の安い国でコストを切り下げたような製品は、あんまり買っちゃいけないと思います。そういうのがめぐりめぐって、ただでさえ悪い工場で働く人の待遇がもっと悪くなったり、工場が海外に移転してしまったりするんですから。派遣がどうのといったって、元をたどれば安ければ売れる市場の要求に応えたものでしょう。私は国粋主義者ではありませんが、ひとつの国の中にいろいろな産業がなかったら、それはとてもいびつな国になってしまうと思います。

 そうはいっても、これはどうしようもない経済の流れでもありますし、全部国産でというのはとてもムリです。でも、ちょっと迷ったら日本製もしくは働く人が大切にされている先進国製(というと日本製も怪しくなるのだが)のものを買いましょうや・・・と、ここ数年思っています。

 2011年8月5日峠川のイワナです。前の魚だろって? そうだよ。17日にも行ったけど釣れなかったんだもん。お盆休みで叩かれまくった後というのもありますが、敗因はフライを持ち出したこと。1年に1回くらい、ふとやってみたくなるのですが、たいてい「キィーーーーーーーーッ」ってなって帰ってきます。さらに今回ショックだったのは、フライのアイにティペットが通らなくなっていたこと。老眼です。目と顔だけはいいというのが昔からの自慢だったのに・・・。 (2011/8/19)

 ところで、17日といえば、まんべくんのツイッターが終わってしまった日ですね(知らない人には何のことやらわからんやろ・・・)。

 恐ろしいなあと思うのは、いい方とか、ゆるキャラの口を借りていうのがどうかとかいう問題はあるにせよ、いわば政府の公式見解に近いことを書き込んだのに、それが気に入らないという人からわーっと抗議が来て、町がツイッターをやめてしまったことです。とんでもない前例を作ってしまったのではないでしょうか。

 火に油を注いだのは、抗議に対してまんべくん(の中の人)が挑発的なツイートで応えたことでした。これはまったく私の想像なのですが、中の人はネットで勇ましいことをいっている人たち(レッテルはりはよくないので「ネット右翼」という言葉は使わないでおきます)をこころよく思っていなかったのではないでしょうか。中の人は元自衛官だったそうです。

 少し想像力のある人なら分かると思いますが、元職とはいえ事が起こったとき命の危険にさらされる自衛官だった人の目に、名前も顔もさらさない安全圏から勇ましい発言を繰り返す人たちはどう映るでしょう。日本に徴兵制はありません。

 私はいまのこの空気が怖くて仕方ありません。前の戦争は一体誰が始めたのかわからないともいわれています。戦争に批判的だった新聞には批判が殺到し、戦争賛成に転じたら売り上げが伸びたそうです。そうして政治家もメディアも空気に飲まれるように戦争に突っ込んでいったそうです。なぜ戦争に反対できなかったのだと問われた東京裁判の被告が「そんなことをいえる空気じゃなかった」と答え、欧米の裁判官は目を丸くしたそうです。日本は空気で戦争をしてしまう国なのです。

 いまの日本の状況は戦争前に似ているといわれます。戦争前も二大政党が足を引っ張り合って国民をしらけさせていたそうです。順序はばらばらですが、一瞬希望を持たせた大正デモクラシーは民主党による政権交代に通じるものがありそうですし、関東大震災は東日本大震災でしょう。尖閣ビデオを海上保安官が流してしまったのは、情報時代の515か226事件かもしれません。いま話題の大連立は大政翼賛会に通じますが、大連立につながる自民・民主二大政党を作る基になった小選挙区制を導入した細川護熙が大政翼賛会を作った近衛文麿の孫であることは、背筋がぞっとする一致点です。

 私はもうフライのアイにティペットも通せないじじいになってしまいましたが、私が生きているうちにも日本はまたどんぱちやってしまうのではないかとけっこう本気で心配しています。そしてこてんぱんにやられた後(場当たり的な震災・原発対応を見ても絶対負けると思う)、また「反対できる空気じゃなかった」ということにならなければいいのですが・・・。

 2011年8月5日峠川のイワナです。1尾は1尾ということで・・・。この魚、口に一度釣られた跡がありました。ここのC&Rはちゃんと機能しています。大田切川とかC&Rをやめてしまうところもある中、がんばってほしいところです。またしてもリールは408でありまして、今年はツインパワーとセルテートという2大メーカーの高級機を2機仕入れたのですが、結局勝者は408だったということですな。 (2011/8/13)

 この408は1974年製で、ドライブギアの材質が間違っていたか落とされていたらしきもので、すでに書いたとおりギアは(おそらくより古い)正常なものと組み替えてあります。

 すでに408を持っていて心配になる人がいると思いますが、ピニオンギアの歯面を見たときに黒い表面処理が落ちて金属光沢が出ていればだいじょうぶです。写真のリールは40回も釣りに行ったのにピニオンギアの歯面が黒いままで製造時の刃物の跡まで残っており、ドライブギアはギラギラした真鍮の磨耗粉を含んだ金色のグリスを吐きまくっていました。いろいろな例を総合して考えると、このまま使うとドライブギアの歯が次第に薄くなっていって、大きな荷重を受けたとき歯が飛んでしまうようです。

 1974年といえばオイルショックの年です。ミッチェルは日本製リールに押されて81年に倒産するわけですが、オイルショックも相当なダメージを受ける事件だったはずです。快削黄銅ピニオン、亜鉛ダイキャストドライブの日本リールが伸びてくるのを見て、ドライブ側を落としてコストダウンしようとしたとしても不思議はありません。

 ミッチェルがリールの耐久テストを厳しくやっていたら、こうしたリールを世に出してしまうことを防げたか? もちろん答えはYESですが、あの時代にそこまでのテストを望むのは酷でしょうね。

 ギアの磨耗はある程度の負荷をかけつつ連続回転させて見ます。一方のギア飛びに関しては重いオモリを巻き上げるなどしてリールがどこまでもつかをテストします。写真の408は曲がりなりにも40釣行は壊れなかったわけですし、極端な大荷重をかけなければまだ使えたはずです。そう考えると、連続回転の回転磨耗テストはクリアしてしまう可能性がありますし、ギアを飛ばす巻き上げテストも新品の状態ならけっこうもってしまうはずです。

 したがって、74年(もしくはそれ以前)にドライブギアの材質を落とした408を不合格にするには、回転磨耗テストを行った同じリールを使って巻き上げテストを行わねばならないということになります。これはちょっと発想しないでしょうし、現在の2大メーカーでもやっていないでしょう(もっとも現在のスピニングリールの場合、ギアの歯が大きいため、強度が落ちるほど減ったらゴロつきがひどくなって使えなくなってしまうので、このようなテストまでは不必要でしょう)。

 なかなかテストというのは難しくて、逆パターンとして大荷重でダメージを受けたものを耐久テストしたらどうなるかとか、何らかの衝撃を受けたものはどうだとか、高温下ではとか、低温下ではとか、やりだすときりがないし、現にいくつかはやっているのですが、どうしてもこういうことは起きるのです。昔聞いた話ですが、テストでは壊れるはずのないペダルの故障が市場で起きて、原因を調べたら歩道の段差にペダルをぶつけ、そのときはだいじょうぶでもぶつけたときに生じたダメージで後になってベアリングが壊れていたという例があったそうです。

 だから、これはかなり酷な「もし」なのですが、もしミッチェルが磨耗プラス巻き上げ強度の複合テストをやった上で408のコストダウンをやっていたら、もう少しいいギアの組み合わせを選びつつコストもより下げられた可能性があったのではないかと思います。私のリールを見る限り、ドライブギアの磨耗が止まらないのには、それ自体が軟らかいだけでなく、ピニオンギアがまったく磨耗しないためなじみが出ないのが大きな理由になっていました。

 であれば、ドライブギアを軟らかい真鍮(快削黄銅とか?)にしたならば、ピニオン側を黒い表面処理(何かは分かりません)を施した鋼から、ドライブギアに使ったものよりすこし硬い真鍮(高力黄銅とか?)にするなどしたら、ピニオンがなじんで磨耗がそこで止まり、歯が薄くなってギアが飛ぶことを防げたのではないかと思います。私はベイト担当ではなかったので正確な材質は知りませんが、たぶんベイトリールのギアもそういう組み合わせではないかと思いますから、ピニオンを鋼(しかもあの黒い処理はかなり硬いよう)にしておくよりはよかったと思います(おっと、いま気がつきました。いまのカタログってベイトのギア材料も書いてあるのね。いまだバンタム100だBBだといっている人なんで現行ベイトって関心ないんだわ・・・)。

 そういえば、バンタム100のピニオンギアはリン青銅だと取扱説明書に書いてありますし現物もそういった銅っぽい色をしています。ところが、後から出た1000SG、10SG、マグプラス、ニューBMなどおよびそれ以降のリールはピニオンギアもドライブギアと同じような真鍮色をしています。もしかするとリン青銅ピニオンは硬すぎて、かえってドライブギアの耐久性がよくなかったのかもしれません。当時SGは「特殊合金製スーパーギアの略」といっていましたが、こういった材質の組み合わせを再検討して耐久性を増したということだったのかもしれません。

 それにしても気になるのは、408のギア材料が変えられたのが74年だったとして、その後修理の増加で材料を元に戻したのか、そのまま最後(70年代終わりの青メタリックのものまではスパイラルベベルだったみたい)までいってしまったのかです。

 なんのことはない部屋の片隅の写真です。本立てに並んでいるのは1996年以降の主要メーカーの総合カタログです。15年分といえばけっこうな資料なのですが、本当は80年代の初めくらいからあったんですよ。釣り具が劇的に変わった80年代に比べれば96年以降なんてほとんど変化なしに等しいですから本当に残念です。なぜ95年でスパッとなくなったのかというと、長良川河口堰が運用されて川を見るのも嫌になって、いったん釣りをやめてしまったから。カタログばかりか創刊号からのアングリング全巻など貴重な資料までばっさり処分してしまったのです。 (2011/8/7)

 話はぜんぜん変わって、左にちょこんとアースノーマットの箱が見えますが、これは使っておりません。以前も書いたことがありますが、私はCS(衛星放送ではなくてケミカルセンシティビティー)のようで、エポキシをはじめとする各種接着剤、パーツクリーナー、塩素系カビ取り剤などのにおいをかぐと体調を崩します。この2月などは、靴クリームを塗った靴を履いて釣りに行ったところ、クルマのヒーターで(外気導入でも)靴クリームのにおいが車中に充満して症状が出ました。

 私の場合はIBS(イワイ・バスフライ・サーフェースシステムではなくてイリタブル・バウエル・シンドローム)との複合汚染のようで、翌朝腹にきます。急性で症状が出ないぶん、原因に気づくのが遅く、エポキシを使ったロッドビルディングが影響していると気づくまで実に10年以上かかりました。もともとIBSはIBSで単独でもっていてしょっちゅう腹を壊す人なので、よけいにだったのです。

 写真の液体蚊取り器もそのパターンです。これに気づいたのは3年位前の5月でした。その年初めてこれを使った翌日、朝釣りに行って朝食を一口食べたときに胃の中に違和感を覚え、続いていつもの症状である、背中の痛みや腹痛が起き、釣行を中止することになってしまいました。

 そして、その前の年、夏中腹を壊していたのを思い出しました。若いころは夏の暑さが好きなくらいだったのに、歳を取ると夏ばてするのだなあと思っていたのですが、どうも液体蚊取り器のせいだったようなのです。実際それ以降液体蚊取り器を使うのをやめたら、夏中腹を壊し続けるなどということはなくなりました。

 さらに、私がしょっちゅう腹を壊すようになったのは社会人になったかならないかのころです。学生時代は自称エコな人だったので殺虫剤のようなものは買ってまで使わなかったのですが、S社の独身寮では、マット式の蚊取り器が配布されていました。おまけに私の部屋(淳風寮の203号室だ)は網戸がなく(ベランダに転がっていたがどうやってもはまらなかったのだ。当然クーラーなどない)裏の薮から蚊が入ってくるので、夏は毎日それを使ってました。もしかするとあのころから蚊取り器の成分で体がやられていたのかもしれません。

 シックハウス症候群とかシックカー症候群とかいった、CSの親戚(同じ?)みたいなものがあります。VOC(揮発性有機化合物)が理由で起きるのですが、そういう家とかクルマの中で、飛んでいる蚊が落ちるでしょうか? そう考えると、液体蚊取り器が人体に影響を及ぼすのは至極当然に思えます。

 夏ばてとか冷房病とか、夏になると体調を崩す人の中には、夏季多用される殺虫剤が原因になっている人が少なくないのではないかと思います。私の場合はIBS複合型のようですが、人によって症状は頭痛かも、倦怠感かも、手足の冷えかもしれません・・・。

 しかし、おそらく今後もこの問題は表面化しないでしょう。日本のテレビや新聞が電力会社の広告費で反原発の動きを封殺してきたのは周知の事実となりました。殺虫剤メーカーの広告は電力会社のそれをしのぐ量です。自分の体は自分で守らないといけません。

 BB-2のアルミスプールです。オリジナルの樹脂スプールが割れちゃったんで、10数年前に自分で図面を描いて作ってもらったやつです。スプール中央の端面が出べそみたいに出ているのはこっちで組むときここをシャフト圧入治具の当たり面にしようと考えていたせいなのですが、結果的には要らなかったのでフラットにすれば1gくらい軽くなったかも・・・。ブレーキブロックは昔のルーBB-1L(たぶんキャスプロ4000V)のもので、軸の根元まで落ちてくるとピニオンのところで挟まりそうなので、SVSブロックをさかさまに入れてます。軸の根元付近のスプール本体にアルマイトがかかっていないのは、むふふです。 (2011/8/1)

 この写真は、わざわざ撮ったのではなくて、8月20日発売のギジー連載第一回「バンタム100」の写真を撮るとき、お店を開いたついでに撮ってみたものです。

 その原稿はデザインが上がった後で内容を一部修正するはめになりました。文中、BM(BB)の対抗馬としてダイワSM-2、オリムピックBX-21、アンバサダー1000C/2000Cが出揃ったころバンタム100が出たと書いたのですが、後で調べたらアンバサダー1000C/2000Cは1983年発売でした。つまり、77年のBM、79年のバンタム100どころか、82年のマグキャストやマグプラスより遅い。ウソでしょ・・・。

 なんたる怠慢。そりゃ落ちぶれるはずだわ。アブの想像を絶する動きの遅さのおかげで、原稿を書き直すはめになってしもたやないか・・・と、自分の調査不足を棚に上げて思ってしまったのですが、あらためて考えると、必ずしもそうとばかりはいえないのかなと思えてきました。

 ひとつ考えられるのは、アブはBM/BBに始まる分離式レベルワインダーを必ずしもいいと思っていなかったのではないかということです。現実に4000番以上のモデルは現在も連動式レベルワインダーのまま続いています。2500Cだってそう現在のリールに比べて劣っているわけではありません。だとすれば、これはひとつの見識だったのかもしれません。

 しかし結局のところ市場の流れに抗することはできず、1000C/2000C、ウルトラマグ、ポラリス、ライトと、競争に巻き込まれていかざるを得なかったということなのかもしれません。

 市場というのは難しいもので、いいものが売れるとは限らないのですね。レベルワインダーの連動式と分離式のどちらがいいかは微妙なところですが、電磁誘導ブレーキや正テーパーロングスプールの小型スピニングなどは、必ずしもいいものではありませんでした。

 スプールが重くなってしまう昔の深溝スプールに電磁誘導ブレーキを組み合わせると、初速が出にくくなり、ベイト特有の気持ちのよいキャストフィールがなくなってしまいます。現在シマノは遠心中心ですし、ダイワは電磁誘導式ながら低速での効きを弱くして遠心的なフィーリングを与えています。正テーパーロングスプールの小型スピニングに至っては、それを始めたダイワ自身の逆テーパー大口径スプールによって否定されてしまいました。

 でも、当時はそれらが付いていなければリールにあらずみたいな雰囲気で、みんなそちらに流れました。リアドラグスピニングしかり、樹脂ボディースピニングしかりです。

 ただ、アブが仮に連動式レベルワインダーのほうがいいと思っていたのなら、それを積極的にアピールするべきでした。そういう動きは少なくとも私の記憶にはありません。私が2500Cや4600Cを使って思うのは、連動式レベルワインダーは機械的に適度なブレーキとして働いている他に、レベルワインダーとラインが常に同調するため、この部分でラインが折れ曲がってバックラッシュするのを防いでいるのではないかということです(私がダイワT3をひそかによさそうだと思っているのはこの辺が理由)。

 90年代のアブはすでにアブではなかったのかもしれませんが、カルカッタに追い込まれるようにして出してきたプロマックス/SMの3600Cなど、あのレベルワインダー位置とスプール幅かつ高速往復で分離式はどうだったのでしょう。連動式のほうが軽いスプールとの相乗効果で、むしろ性能はよかったのではないでしょうか。

 流行に抵抗するのは大変なことですが、積極的に抵抗した形跡もないわけで、やっぱりアブの怠慢だったということになるのかなあというところです。

 (思い出したように追記:よく考えたら、1000Cや2000C、同時期の4600系にはフリーフローティングレベルワインダーやセルフセンタリングレベルワインダー(だったっけ)のようにラインガイド抵抗を減らそうとしたものがありましたから、分離式のガイド抵抗を問題だととらえ、単なる分離式を超えようとしていたとはいえそうです。ただ、そうなると、なおさら90年代の丸型がどうなのよということになります。私の持っているSM1600Cも、あのスプールであの性能は、相当ラインガイドの抵抗が足を引っ張っているのではないかと思いますし・・・)

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