週刊てーて ひらく農園から
「大厄のあと」
去年の散々を厄年の所以(ゆえん)とする気にさせるものは、年が明けて、恭さんも実は厄年だったと知ったことによります。厄年という昔からの人の一生を遠くから見て諭す風習を、一蹴する余力がないのは、それだけの散々があったからといえると思います。僕にとって何よりも思い知らされたのは、体力の持続性の限界で、休むべくして休むことの実践を、今年こそ定着させようと考えています。
五日までを完全休養として、六日の仕事始めには、ひと月の間使わなかった機械類のエンジンをすべてかけて回りました。機械というものは使わないとだめになるもので、使わなければガソリンを抜いておくというような身繕いをしておかなければなりません。使いたいときに機械が動かないということを少なくするためにも、メンテナンスは重要な仕事です。七日にはトラクターに乗り、八日はほうれんそうと大根の種をまきました。昨日は種まき用の培土仕込み、玉葱畑の草取りも始まり「動」の農園の復活です。
体が動くことのありがたさをしみじみ感じています。もちろん、十二月だって収穫や仕分け、配達をこなしていたわけですから体が動かなかったわけではありませんが、違和感なく体が動くということは実に軽やかなものなのです。このうれしさをひとつの源として覚えておきたい。こんな想いがかえって丁寧に仕事をする気にさせてくれます。一時間か二時間仕事をしたら、家に入って足を暖め、決して無理をしないようにして、仕事を再開します。この冬の間にやるべきことが山ほどあっても、慎重に一つ一つこなしていくつもりです。
大厄の後に成熟があるとしたなら、未熟に過ぎる僕たちには楽しみばかりが待っていることになります。間引きの始まった三月収穫の大根は土寄せされて、葉の青が青を増し、僕たちに何かを教えてくれています。背伸びして蔓ののび始めた不耕起畑のエンドウ類にはお日様と明日しかないように見えます。僕たちも前に進みます。
2002年1月10日 寺田潤史
3月収穫予定の大根は、まったくの開墾地に無肥料で 種をまき、芽が出たところでぼかし肥料を置いて土寄せ、 今回の間引き収穫時に手で再び土寄せされる。 |
不耕起のトマト畑の後作に不耕起のエンドウは毎年の 定番作型となってきた。松葉が雨あられと降り注いで、 とても畑と思えない? |
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