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「種を播く」

 年が変わって種播きが始まると、「今年も始まったなぁ」という印象に包まれます。一年はまあるい円のようなものなのに、一月から二月にかけての 種まきが「さあて今年はどんな風な作柄になるのやろうか?」と襟を正す気になるのは不思議なものです。種播きの加減が過ぎると、夏ばてになるし、加減を抑えるとあとから「もっと播いておけばよかった」ということになります。自分たちの体のペース配分を考えて予定を立てるのだけれど、ついつい気持ちが前のめりになり、すべての苗を植えきることができないこともよくあります。

 葉もの類(小松菜、しろな、春菊、べかな、チンゲン菜、ロケット、壬生菜)とキャベツ、白菜、レタス、サニーレタスの種を二日に分けて播きました。この後、葉ねぎや夏野菜の種播きも控えています。

 天然自然の中で植物が花を咲かせて種を実らせ自然に種が振りまかれた後、新しい芽を出すという摂理には思わず目を細めてしまうくらいの素晴らしさがあります。ちーち畑の片隅に、毎年決まっていつのまにか芽を出したしゃもじ菜が、いつのまにか立派に育っています。肥料も何もやってないのに、耕したわけでもないのに力強く葉を広げ、虫食いの後もほとんどなくしゃもじ菜は勝手に育っているのです。とーと畑のあぜ際には、二年前に種取り用に植え替えた宮重大根が、同じくこぼれ種から芽を出したらしくどっぷりと太って育っています。

 人間も天然自然の一部に変わりはないと思いますが、農を業として成す畑や田んぼは、種を人間が播かなければその役割を為せないことがほとんどです。「種を播かなきゃ何も始まらない」という思いがあります。種さえ地面におろせばあとは何とでもなる、というくらいの荒っぽい気持ちが正解だったという場面にも何度も遭遇してきました。そのくらい種の持つエネルギーは圧倒的で、まさに「勝手に育っている」のです。種たちは、ただただその時期に播かれることを待っているとしか思えないのです。それでも、そのエネルギーを全うさせてあげられないことが多いのですから、不徳不徳の至りです。

 こぼれ種から芽を出した命はほんの一握りだけが生き残りますが、僕の種播きはできうる限りすべての種に育ってもらうという方法です。これは天然自然に背くことになるのかもしれませんが、人間の赤ちゃんに対することと同じような視点に立つということも、一つの選択だと考えています.

2002年1月17日 寺田潤史

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↑種取用の宮重大根のさらにこぼれ種から育ったもの。

↓白菜やしゃもじ菜や体菜、しろななどの交雑と思われる。

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