週刊てーて ひらく農園から
「共同作業」
この日曜日、大雨の前に何とか稲刈りを済ませることができました。九名の助っ人が、ぬかるんだ田んぼ(一週間前の台風の影響)を北南西東してくれたおかげで、夜の八時半までかかって、刈り取った稲を架けることができました。こんなに大勢が助けてくれたうえに、終わるまで大雨は待ってくれたのですから、目に見えぬ力の大きさにただただこうべを垂れるばかりです。
ぬかるんだ田んぼでしたので、キャタピラの運搬車すら思うように進めないで、刈り取った稲束を道路の軽トラックまで運びあげるには、途中から手渡し作業が必要でした。手渡し作業は毎年していますが、そこにいる全員を必要とした今年は、却って楽しい時間を共有できました。それまでの疲れた表情がこの手渡し作業で皆生き生きとした笑顔に変わるのは、掛け声のためばかりではなく、作業の共有の楽しみを皆の手から手に渡った稲束が演出し、さらに言えば、体を動かすという躍動が原初的な目覚めを呼び起こしたからなのでしょう。その躍動には二千年以上の遺伝子が関わっているのですから、その歴史をイメージするだけでも楽しいのです。
田植えも稲刈りも、その田んぼのそのときの状況だけを切り取ってしまえば、もっとそっけないものに感じるかもしれません。しかしながら、歴史のあるものは、イメージの広がりに無理がありません。そして、その作業の中で自分の実生活や実人生を省みることが容易にできるのです。それは単なる作業から来るものではなく、稲束の手触りや鎌で稲株を刈り取る感触、ぬかるみから足を引き抜くという体の思うようにいかない感覚、などが遺伝子を刺激するのかもしれません。
稲刈りとは直接関係ありませんが、今日、野菜を買ってくれているある方からメールをいただきました。少し紹介いたします。
(前文省略)「畑仕事で体験したことに、まったく関係のなさそうな分野での体験がある日ふっと手をつなぎ、ひとつのひらめきみたいに理解し感動するということがあります。頭の中をつねによく肥えたふかふかの土のベッドにしておくとふしぎなことがおこります。(中略)畑仕事もある意味ではイメージする仕事ではないかしら!」(後略)
この方がおっしゃるように、農作業はまさにデザインそのもののように感じます。先天的にイメージできることと、経験からイメージできることをデザインしていくのですが、キャンバスも絵の具も生き物であるというデザインです。そして共同作業というものは、肉体的に味付けされた筆が、原初的な目覚めをともなって新たな躍動を描き出す作業でありました。
2002年10月10日 寺田潤史
↑家の西側に架けられた稲束。計3箇所に分散。 |
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↑僕達夫婦だけが完全武装。 |
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今週の野菜
野菜 玉葱 |
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