週刊てーて ひらく農園から
「堆肥の力」
この冬は、堆肥をよくまいている。熟成された堆肥があると、畑に散布する意欲がわいてくるのだ、この堆肥は、鶏糞と籾殻で出来たものだ。いらなくなった鶏のウンチとお米の抜け殻で、要するに産業廃棄物で出来たものだ。それが、放っておくだけで、熟成された堆肥となる。
この堆肥は、4tダンプで持ってきて、しばらく放置しておく。それを、不衛生だという輩がいる。野積みして放っておくのが一番であるのに、ほったらかしにしておきやがって、とのたまう。一箇所にまとめていないと、あっちこっちに散らかしおって、とさらにのたまう。そうではないのだ。三年近く、放置しておかなければよい堆肥にならないので、一箇所に集めてはならないのだ。あそこの堆肥は去年の夏のもの、あっちの堆肥はおととしの冬のもの、というふうに別々のところにおいておかなければならない。効率なんていいわけがないのだ。自然界のものは、人間界の効率とは尺度が違う。結果的に自然界の効率が一番いいわけなのだが、人間はそれをなかなか理解できないし、第一に待てないのだ。待つことよりも見てくれを最優先する生き物なのだ。だからこそ、石油から出来た化学肥料や農薬の一見してさらさらとしてきれいに見えるものを、人間は抵抗無く使いたがる。お金さえ払えば、もって来てくれてすぐに使える。畑に毒をまいて食べ物をその畑から持ち帰るのだから、すべての神経が麻痺しているとしか思えないのだが、そういう人が善良な市民なのだろう。善良な市民は、効率の悪い農民を平気で罵倒する。放っておいてくれればいいのに、堆肥と同じで、放っておいてくれない。
人が、卵を食べる時、鶏のウンチを排出していることを理解してほしい。豚肉を食べる時、豚のウンチがどこへ行ってしまうのかを理解してほしい。すべて、畑に還元されているであろうし、それが自然界の循環の一つだ。堆肥とはすごいものだ。良質の堆肥は、それだけで無農薬の野菜を育ててくれる。それはなぜか?堆肥はウンチではないのだ。ウンチを自然界が分解した結果なのだ。素材がウンチでなければ、草だったり、おがくずだったり、落ち葉だったりするわけだが。自然界の分解能力を信じることが出来ない輩が、その分解過程を不衛生だと批判するのである。熟成された堆肥は、素手で触ってもさらさらしている。口に入れて確かめる農家も多いようだが、僕はあえてそれをしない。一目で言いか悪いかはわかるものだ。
畑に散布しても、虫が出ないとわかっているから、虫の出やすい野菜には特に熟成された堆肥をまく。うちの堆肥でおがくずが入っていないものを畑に使用しても、場合によっては熟成していなくても野菜に虫が出ない時も多い。木酢自然液肥を散布した時は、畑の中で堆肥の熟成が進み、虫が出にくくなる。堆肥というものは、その分解過程に能力を発揮するもので、常に変化している。その変化が畑の中で野菜の根とともになされるのだ。化学肥料や農薬を使わないで野菜を育てるということは、自然界の分解能力を信じるということである。以前あんなに荒れていた「とーと畑」に、この冬の寒さの中、青々とした葉ものたちが存在すること自体が不思議である。誰が見ても、今見ても、外見上とてもよい土の畑とはいえない「とーと畑」で、堆肥の力をまざまざと見せつけられている。
2004年1月29日 寺田潤史
↑「とーと畑」の葉ものが青々 |
↑黒ビニールマルチの白玉葱の株元にも堆肥 |
  | 野菜 | 品種 | 科 | 播種日 |
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菜の花 玉葱 葉ねぎ フリルレタス サニーレタス レタス カリフラワー 春菊 チンゲンサイ べかな しろな こかぶ 水菜 ロケット 大根 小松菜 京壬生菜 人参 自然卵 自家製味噌 |
レタサイ もみじ3号 わかさまパワー グリーンリーフ なんそうべに シスコ オレンジブーケ 大葉春菊 福賞味 はまみなとべかな 京の四季 耐病ひかり 早生水菜 オデッセイ 大蔵 安藤早生 早生壬生菜 紅映2号 ブラウン 自家米のこうじ |
アブラナ ユリ ユリ キク キク キク アブラナ キク アブラナ アブラナ アブラナ アブラナ アブラナ アブラナ アブラナ アブラナ アブラナ セリ 海の精塩 |
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