「厨房に入りてダシをとる!その一」
疲れから熱を出して休養ということができない現在の状況は、熱を出して仮眠し、熱がやや下がったならあるいは体が動くのなら働いてしまえというような乱暴な状況にある。こんな時にはトンネルの苗床の開け閉めに何度も腰を下ろすことすらうっとおしく、百メートルを歩いて葉もの類を収穫しに行くその往復も足取りが重い。
そういう特殊な状況の中で台所にたつと、これが不思議なことにシャンとするのである。台所に立って最初にするのはまずダシをとることである。二十代の独身時代を玄米を炊くこととそばつゆのだしをとることで過ごした僕は、恭さんが食事の用意をするようになってからほとんど台所に立つことはなくなっていた。それが今回の出産では、突如としてダシをとることを復活させたのである。断っておくが、恭さんがダシをしっかりとっていなかったなんてことはなく、僕自身の中での復活である。味噌汁はダシを取らなきゃ意味がないし、しかも今は育ち盛りの子供たちがいるのだから栄養素のことも無関心ではいられない。効率よく自然界の素材を子供たちの中に取り込んで、余分な手のかからない状態に持っていかないことには仕事がはかどらないのは農家の自明の理である。
丸元淑生著作の「システム料理学」を読んだのはだいぶ前のことだが、その文庫本が恭さんの実家に行ったきりで手元にないので、講談社から出ている丸元淑生の「シンプル料理」をぺらぺらとめくると基本のダシのとり方が書いてある。これは参考になるが、ここでは確認しただけである。ここの所僕が毎日やっているのは、夜寝る前に朝の味噌汁のダシをとっておくことだ。如何に美味しい味噌汁を如何に子供たちに飲ませるかだ。我が家の長女は味噌汁が好きでない。恭さんの作る味噌汁が具沢山のダシもすべて入れ込むタイプの一回ぽっきりの味噌汁であるのだが、自家製味噌のつぶれなかった大豆の部分を長女は好きではないのだ。そして、農家としては朝一回ぽっきりの味噌汁では効率が悪い。せめて二食分は作り置かないと時間が浪費される。そういうことで考え出されたものを紹介する。
夜寝る前に二食分の味噌汁相当のお湯を沸かして、出し昆布を多めに入れ、出し煮干も入れて沸騰させてそのまま鰹節(これは鰹節削りでかいて削ったものに限る。とりあえずこの非常時なので八十九歳の祖母が削り節担当だ)も入れてさらにひと煮立ち。最後に干ししいたけを入れて火を止めておく。それぞれの分量は適宜に。栄養と朝の煩雑さを考えて人参を細かく切って冷蔵庫に保存しておく。このまま就寝。朝になったら、ダシに使ったものをすべて取り除く。ただし、しいたけだけは食べられる大きさに切ってなべに戻す。火を入れ夕べ切っておいた人参を入れ、朝食べる分だけのわかめあるいは油揚げなどを用意して鍋に入れ、最後に味噌をといで漉してできあがり。人参以外は具をできるだけ食べ尽すと、残った味噌汁で昼食あるいは夕食の具を足すだけで極上の味噌汁を飲むことができる。自家製味噌を使って、出し殻は鶏の餌になるのでもったいないという感覚が出てこないのだ。熱があっても、深い味わいのダシの効いた味噌汁は、生命の拠りどころとなるかのように臓腑に沁みていく。
2004年4月15日 寺田潤史