「厨房に入りてダシをとる!その四」
この頃は、そばつゆを作るのももっぱら僕の役目だ。一番だしに純米酒(主に賀茂泉)と醤油(大須賀の栄醤油)を入れて沸騰させ、アルコール分を飛ばして最後に少量の「味の母」(みりん)でほんのりと甘みを出している。後は麺だ。そば打ちをまだ始めていないので、乾麺を茹でている。
麺は茹で加減も大事だが、そのあとの水で冷やす工程も大事だ。ところが恭さんは、茹で汁を捨てるな、と言う。茹で上がった麺をとろとろと取り出していたら、そばが台無しだ。ははーん、いつものびてしまうのはこのせいだな、と合点した。茹で汁が大事だから、そばがのびていい、なんていうことがあってはならない。早々と、大きなパスタパンを買いに出かけた。いつも茹でている鍋の倍以上の容量のステンレス製の鍋で、中に穴のあいた内鍋がすっぽりと納まっている。これで、茹で上がった瞬間に麺を取り上げ水冷できる。
茹で汁を捨てるなということは、聞けば素晴らしい知恵だ。油物がよく落ちる。油物の食器洗いのために、今までのびた麺を食べさせられていたというわけだ。本末が転倒していることは、料理に及んではならない。ついでにボールの三点セットも安売りしていたので買ってきた。限られたボールにあれやこれやをてんでに入れて、素材を小分けに出来ないと手間隙がかかるばかりだ。必要なものは、やはり無くてはならないものだ。これだけのことで、実にスムーズに料理が進む。だしをとって使った昆布や鰹節や出し煮干を取り出すときは一つのボールに入れてしまうが、鰹節と出し煮干の出し殻は鶏の餌にして、昆布はもう一つのボールに取り出しておく。恭さんはその昆布を醤油と酢を一対一の割合で混ぜた中に入れておき、昆布がたまったところでそのまま鍋に入れて煮たものを食卓に出してくれる。保存が効き、ご飯でもお酒でもよくすすむ。恭さんの料理本の読む量は少なくないので、あちらこちらの知恵が料理に生かされている。
水道の水がぽたぽたと漏るというので、蛇口を総点検してみた。その結果、蛇口の回転がよくなり、微妙な水加減を調節できるようになって、これだけでもテンポが変わってくる。熱した鍋を置く場所をたくさん用意したり(一枚板を二枚敷くだけでよい、合板はやめたほうがよい)、料理をする世代が異なるために使わなくなったものを整理するだけでも素材を取り出すのが早くなることもある。料理そのものの知恵だけでなく、厨房の環境整備が手早さの大きな要因になることを目の当たりにしている。
味噌汁を一度にたくさん作っておいて、日に二度あるいは三度味噌汁を食べるようになり、間違いなく恭さんの調理時間が短縮している。ご飯と味噌汁があれば、もう一品二品に手をかけることも出来るし、第一に気が楽のようだ。今日の昼食は、ズッキーニの千切りを卵の炒めたものと混ぜて火を通した季節を感じさせるものであった。この五月六月は、ズッキーニ三昧となること請け合いで、恭さんの知恵の見せ所である。僕もたまにはズッキーニ料理をしてみようかしら?
2004年5月6日 寺田潤史