「旬を食べる、旬を育てる その五」
畑は、夏野菜である。夏野菜というものは、気温、湿度ともに高い時期に成長するものであるから、毎日の成長も早く、すなわち毎日の収穫に僕たちを駆り立てる性質のものである。多品目を満遍なく育てるので、あれもこれも毎日収穫しなければならない。出荷がなくても収穫しなければならないので、当然休みがなくなる。これが体力勝負の要因であり、盛夏が過ぎる頃になると、冬の温泉休養が恋しくなるゆえんでもある。一月、二月という時期に夏野菜の種を播いて、夏の旬に備え、秋の旬を越え、力を振り絞って湯治までこぎつけるというほとんど一年を通じて夏野菜のために身をすり減らしているくらいのものだ。
海辺のこの地方では、夏に葉ものを無農薬で育てることはかなり困難だ。一方で、有機物に依存するという性質は、微生物の力が発揮されうる温度確保が容易な夏にメリットがあるということでもある。そして梅雨時の豊富な水分と湿気に、夏野菜はすくすくと成長する。ナスでもピーマンでもオクラでも、虫に食べられること意外は、障害がないようにさえ見える。草取りだけしっかりしているならば、梅雨明けまではそれこそ旬の限りをつくしてくれるので、収穫に終われる日々で、ほかの仕事がなかなか手につかない時が多い。
この実ものの夏野菜、それはそれで極上の美味しさがあるが、やはり葉ものが恋しくなる。前述のように、通常の葉もの、すなわち法蓮草であるとか小松菜であるとか、あるいはサニーレタスなどのレタス野菜は無理がある。そこで、熱帯の気候でも育つモロヘイヤである。ほかにもエンツァイやひゆな(バイアム)がある。つるむらさきもある。しかしながら、好みがとっても分かれるので、うちではモロヘイヤをメインとし、ひゆなも補佐的に作付ける。モロヘイヤは十年以上前からの宣伝で、市民権を得つつある野菜の一つだ。癖がなく、日本人大好きなトロロ感を併せ持つ。さっと湯がいて、刻めばトロロ感が出るし、鰹節を削って振りかければしょうゆ味が美味しい。食べると、「ああ、自分の体は葉ものが欲しかったんだ」と気付く。
このモロヘイヤ、育てるのは割合手間がかからない。堆肥を入れて、草さえ取っていればよい。摘心して育つに任せる。が、収穫には手間がかかる。葉肉が薄いので、食べられる程度の茎と葉を摘んでいく。よくない葉は捨てる。虫も食べるが、大食はしない。コガネムシのような大きな虫が特に食害する。エジプト原産と言われていて、カルシウムも極々豊富であるらしい。高原野菜を食べるか、農薬が少なくて済むモロヘイヤを食べるかの選択が真夏の通常のスーパーマーケットでの光景とすれば、無農薬という畑では、選択の余地がないモロヘイヤを好きになるか?とはいえ苦手な人は苦手でかまわない。誰だって苦手なものはあるし千差万別だ。僕たちのような野に生きるものにとっては、モロヘイヤの野の食感が生に息吹を与えてくれているなあ、と感じ入る。在野という言葉があるが、モロヘイヤにはそれに近いものを感じる。古代エジプトの反映を知ってのことか、モロヘイヤは種になると、家畜に害を与えるそうな。紙一重とは、そういうものであるのか?でも僕は、モロヘイヤもやっぱり好きだ。
2004年6月24日 寺田潤史