「旬を食べる、旬を育てる その十一」
朝夕の涼しい風を、最大の幸せとできる喜びの季節になった。山積みされた仕事を一つずつこなせるようになったことの要因には、雨があることで井戸水を常に出し続ける必要がなくなったことすなわち野菜が枯れてしまうことの危機感が薄れたということがある。が、季節を綱渡りしていることには変わりなく、昨日も突然の決断で、水窪へのお茶の木の刈り込みと草取りに一日前倒しして行ってきた。
予定では、先の日曜日に水窪行きを決めていたのだが、三女の軽い発熱で木曜日に延期しようということになっていた。水曜日の昨日の朝になって、不覚にも木曜日のクール宅急便の到着(毎週のこと)をすっかり頭から追い出していたことを恭さんに言われた。すると、もはや「今日しかない(水曜日)」ということに気付いて、恭さんの反対を押し切って強行した。いや、以外に冷静に様々なことを勘案していたのだが、細かく説明している時間がなかった。お店の朝の出荷の最中にそれらを頭の中で巡らせていたのである。何とか恭さんも納得して、昼食を済ませ、次女三女を保育園に迎えに行って、家を出発したのが十三時半だ。乳飲み子の四女も夏休み中の長女ももちろん一緒だ。苗の水遣りや鶏の餌の仕込まで済ませていた。木曜日になってしまうと、それらのことが出来なくなってしまうので僕一人で出かけることになり、当然作業は一日では終わらない。すべての作業を頭の中にいれてミックスしなければ外仕事は出来ないのだ。
十五時半から水窪で仕事を始めた。水窪到着時の道路の温度計は三十四度を指していた。暑い!しかし、僕には確信があった。この時間ならお茶畑は日陰になっているはずだと。案の定どころか、まったく暑くない。気温はそこそこあるはずであるが、風もろくに吹かないのに暑くないのだ。うちの畑で三十四度言うたら、もう仕事なんてはかどりまへん。やっぱり海辺のドカンとした暑さは湿気があって、きついのですな。とぶつぶつ言いながら、しばらく仕事をしても汗がにじんでこないのである。山はやっぱり山だ。そのうちに、天気も曇り空に変わってきた。子供たちの退屈を和らげるのに時間も費やしたので、結局終了したのが十九時で暗くなっていた。何とか一日で仕事をやり終えた。
恭さんが先に進んで草を取り、あとから僕がお茶の木の枝を刈り込んでいく作業なのであるが、機械音もあるので作業中はほとんど話もしない。トリマーを動かしながら僕は考えていた。今日の水窪に来たことについては少し急であったし、少し強行でもあったが、この天候ならば今のところ何とか正解であったかな?と。しかし、何が起こるかわからない。そのことを何度か考えた。恭さんの草取りが終わったところで、恭さんが疲れを見せた。うーん、失敗だったかな、という思いがよぎった。そのあと恭さんは駄菓子を口に入れることで元気を取り戻したので、失敗ではなかったようだ。夜は雨になった。かなりの降りの雨になった。家で一息ついて、恭さんは言った。やっぱり、今日しかなかったのね。うーん。旬というものは一瞬である。旬に旬のものを味わうということは、一年中、わずかしかない一瞬を全うすることなのだ。それを積み重ねて、旬を味わうことが出来るのである。これがかろうじての実感だ。
2004年8月5日 寺田潤史