「旬を食べる、旬を育てる その十二」
長い。夏が異常に長いのである。旧盆を迎えるこの時期、この暑さは例年の暑さのような気もするのだが、六月から真夏のようになってしまって毎日が耐える日々であったので、暑さにうんざりしているのは僕だけではないだろう。台風だけが雨の拠りどころとなった今年のこの地方は、また乾燥した大地になりつつある。乾燥しているのは大地だけであって、空気は湿気をたくさん含んでいるように感じられるのだから、手に負えない夏でもある。またしても、井戸水の活躍する日々になってきた。
その井戸水の今の散水口の向かう先は、ニラ畑だ。例年に比べて、とうの来る(花芽の準備)時期が早く、少しずつとうの伸び始めたものがある。秋が早いのか、夏の暑さが十分過ぎるほどに来たせいなのかははっきりしない。ひとつには、この時期にニラを収穫できている事が原因として考えられる。それは、通常であればこの旧盆の時期にはニラは一休みというか、収穫が出来ない時期にあたる。もちろん、露地での無遮光栽培という限りであるが。つまり、一休みする時期を飛び越して収穫が続いているので、その期間分だけ前倒ししてニラのとうが伸びてきたということが考えられるのである。もうひとつには、ただ単に季節の前倒しという要因も考えられるのであるが、これはやはりそう単純な異常気象とは断定しがたい。
とはいえ、ニラがこの時期に収穫できるということはうれしい事だ。夏の葉ものがモロヘイヤだけになってしまうと、ニラは貴重な存在だ。ツルムラサキなどの癖の強い葉ものは、好きより嫌いが圧倒的に多数を占め、この頃は作付けしなくなったから、モロヘイヤやニラが収穫できる事はまことにうれしい。葉ねぎもそうであるが、ニラも水分がなければすぐに成長しなくなってしまう。今年の井戸水の復活はニラやねぎにとっては万々歳の出来事だ。冬の間にニラ畑にたっぷりと堆肥を投入していたことも効いているだろう。さらに、新しくニラの種を播いて、古いニラが息切れしたなら少しでも新しいニラを収穫した事もニラを疲弊させなくて済んだのかもしれない。そうした、一月二月の仕事の貯金のおかげで夏を越していられるようなものだ。想像していたよりもずっと厳しい異常な気候であったが、冬の貯えは更に想像以上に効いている。
今夜の夕飯の惣菜には、久しぶりにニラのおひたしが登場した。酢醤油で食べるのだが、さっぱりしていてとても食べやすい。真夏にニラを食べられるなんて、初めてのことかもしれない。子供たちが餃子を好物なので、週に一度くらいは餃子を女子たちで作っている。子供たちの包んだ餃子は、子供たち自身も楽しみにしている。それがこの夏は途切れない。何といっても恭さんの最大の目的は、ニラを子供たちに食べさせる事にあるのだ。餃子は作っても作りすぎという事はない。冷凍しておけば、夕飯時に駄々をこねた子供たちを黙らせるに最大の惣菜だ。餃子を作るのも手がかかるし、ニラを収穫調整するのも手がかかる。しかし、厳寒期を除いた一年中ニラを食べられるということは、粘りの効いた仕事の結果であるといえるだろう。いつの頃からか、ニラのような細かな作業を要す作付けが、僕たちの仕事の中心となったのである。
2004年8月12日 寺田潤史