「土作り その四」
地球は天変地異の塊である、と考えれば、大昔からの飢饉、旱魃、大地震も理解できるし、今年の異常な暑さも度重なる集中豪雨も、頻度の密な台風もみな腑に落ちてしまう気がする。しかし、今年の異常さは来る年来る年の予兆であるかのように、ここ近年の加速度の真っ只中に組み込まれて、農民はなすすべがない。ただ、雨の合間を縫って、畑の野菜の世話をするのみであるし、熟しすぎた稲を大急ぎで刈り取って、稲架に干すのみである。雨の合間を縫うということは、機械をほとんど使えないということで、手作業の仕事ばかりだ。
今年の稲は惨敗だった。まだ、田んぼをはじめて十三年ほどだが、最低の収穫量であろう。理由は、主に二つ。四女の出産で僕が仕事と家事に追われて田植えの準備がしっかり出来なかったことと、恭さんの産後の養生が明けてからの体力低下そして肺炎から喘息併発で、田植え後の草取りが大雑把に一通りやっただけであったこと、簡単に言ってしまえば四女の出産が惨敗の原因のひとつである。もう一つは、この夏の異常な暑さが挙げられる。水さえあれば暑ければ暑いほどよいのが稲作だが、除草剤などを使わないという条件のもとでは、今年のような暑さの中で畑に出て、それから田んぼにも出て草を抜く、ということが自殺行為であるとさえ言える。結果として、田んぼ一面の草、草、草により、稲の分けつ不足となった。ひどいものは、田植えに一本苗を植えて収穫も一本だけという状況であった。草のないところはかなりの分けつを見せていたので、原因が草であることは明白だ。
ここに来ての台風や集中豪雨で、稲の収穫に機械を入れることができない。もっとも、草の量が多くて機械を入れることが出来たとしても、草が絡まって使い物にならなかったであろうけれど。十一年ぶりに手刈りですべて収穫することにしたのだが、これはこれでとても気持ちのよいものである。田んぼ全面に水が残り、草の海の中から稲を刈るのは大変なことであるが、多様な草で微生物は喜んでいるだろうし、ザリガニや蛙なども少なからずいる。分けつの少ない稲であると、その分だけ一本残らず収穫しようという気持ちも出てくる。ここまでの惨敗は、来年は盛り返そうという気にもさせる。草の中から稲を選んで鋸鎌で刈り、去年の稲藁を数本束ねて稲を結束していくのはすべて素手だ。稲刈りの準備も機械を運ばなくてよいから、稲架を組み立てるだけで、あとは鋸鎌と稲藁を持って出掛けるだけだ。収穫が少なかったからできることではあるが、気持ちは畑の土作りと似た性質がある。収穫量が戻れば、それは機械を使わなければとてもかなわないだろうけれど、久しぶりの手作業はよい刺激になったといってよい。腰は痛いが。
集中豪雨明けの昨日は、芽の出た大根や法蓮草などの土寄せをして、ネットを張った。今日は、半分ほど残った稲刈りの五分の四ほどを終えた。明日からまたしても台風である。種播きは夜中にやればよいが、雨ばかりの日々の中での土作りには、頭を使う。幸いなことに、種を播いた玉葱は順調に芽が出ている。例年、この時期の集中豪雨で玉葱の種が流されて、玉葱の苗が不足することが多くなっているらしいが、うちに限れば毎年万全を期した結果が出ている。天変地異にも微動だにしない土作りの技術が必要だ。
2004年10月7日 寺田潤史