「地球の懐に抱かれて その二」
乾いた空気と空の青が気持ちのよい神無月となりました。畑の土は、まだ水を多く含んでいます。台風の前に張っておいた黒ビニールマルチに、玉葱の植え付けを始めました。畝間には水がたまったような状態で、ぬかるみに長靴を履いた足を踏み入れ、一週間前に根きりしてあった極早生の玉葱の苗を手植えしていきました。夏の疲れが抜けなくて、台風の間じゅう休んでいたような状態でしたので、腰の痛みはすっかりなくなり、手植えしても腰が痛くならないのには驚きました。やはり、腰の痛みというものは体全体の疲れであるといえます。今朝には、次の植え付け予定の早生玉葱の根きりを終えることができました。
いつもお世話になっている種苗屋さんの話では、玉葱の苗がほとんど台風でやられてしまったとのことです。これは十分に予想されたことです。幸い、うちの苗は順調に育っています。強烈な雨で、少し発芽率のよくない品種もありますが、万全を期した甲斐がありました。ほとんど、百姓の意地だ、といっていいくらいの気持ちで、最悪の環境を切り抜けてきた感です。手間はかかりますが、どんな強烈な台風が繰り返してやってきても、びくともしない玉葱の露地育苗のスタイルの一つであると思います。自家製培土と鶏糞籾殻堆肥だけの施用で、素晴らしい玉葱の苗が育つのです。あまりに激しい天候が毎年続くようであれば、このスタイルを葉ものにも当てはめていこうと思っていますが、何分手間がかかりますので今のところ見合わせています。
今年の天候の激しさに打ちのめされている僕たちですが、青空の下の畑を歩くともう前を向いている自分に気付きます。苗床に並んだこれから植え付ける葉ものの苗を見ると、ちゃんと育っているじゃないか、と勇気付けられます。世の中は悪いことのほうが多いようにも思える今日この頃ですけれど、青空や太陽に代表される前向きなエネルギーというものが僕たちの細胞を突き動かしている原動力だ、という事実は、世の中悪いことばかりでもないなと楽天的な気分を誘います。アメリカの大統領選挙でブッシュが再選され、地球の自由は巨大なキリスト教の教会が握っているんだと思っている人の多さに驚き、中東情勢に首を突っ込むアメリカが維持されていくことに悲観している一方で、アメリカのNBAバスケットボールに田臥勇太が登場して喜んでいる自分も楽天的だと思います。しかし、僕たちの楽天は、やはり大雨の後の青空や太陽の熱や乾いた風にあります。その下で、顔をのぞかせた野菜の赤ん坊のような新芽は、何のためらいもなく天に向かっています。ただ、ただ、育っていきます。これが僕たち人間の生業です。地球に住んでいるということは、育つということなのです。そのことが神そのものなのです。戦争すら肯定する大きな教会には、神は存在しないのです。田臥勇太や野球のイチローには、ただ育っていきたいという赤ん坊のような意思が感じられて、勇気を分けてくれるような気がします。
もうすぐ生まれて七ヶ月半になろうとしているうちの四女を見ていると、この確固とした意志の強さはどこから来るんだ?と思わず苦笑いしてしまいますが、その行動力も生命力もすべて地球の懐のうちにあるのだといえるでしょう。彼女や野菜の新芽から、僕たちはそのことを学んで育っているのだといえるのです。
2004年11月4日 寺田潤史