「地球の懐に抱かれて その三」
しばらく晴天が続いて、今日は久しぶりの雨だ。大地もそうであるが、野菜もやはり乾湿をくりかえすことがよいのである。雨続きで葉ものの根がやられ、雨が上がってもすんなりと伸びなかった葉が、ここへ来てやっと伸びてきた。根と地上部は常に連動しているから、葉が伸びるということで根が回復してきたと想像できるのだ。
雨降って地固まる、という言葉がある。人間関係を表すことが多い言葉だが、土というものの性質をよくあらわしている。軟弱になった土が、雨で浸水することでいっそう軟弱になり、雨が上がって風に吹かれて乾くと、土はしっかりと固くなる。しかしながら、適度な雨ならばよいけれど、驚異的に過剰な雨が続くとなると話しは違ってくる。土砂崩れが災害を引き起こすという典型だ。畑の場合は、台形であった畝が、煮崩れたジャガイモのようになる。畝間には畝の土が流れて、浸食された川のような形状を作り出す。恭さんの見てきた報告では、近所の砂地の畑の畝間にはまだ水がたまっているところがたくさんある、ということであった。どんなに排水のよい砂質度でも過剰な雨には、地下水の影響を受けてしまうということだろう。
乾湿を繰り返す、という言葉の中身は、乾湿が半々の割合でということではない。強いて言えば、乾が八割、湿が二割くらいがちょうどよいであろうか?野菜に限ってのことであれば、その野菜の性質にもよるが、水分を好む野菜であっても湿は四割に満たないくらいがよいのではないだろうか?これは科学的な言い方ではない。あくまでも印象である。雨の日数といってもよいかもしれない。今年の秋は、どう見ても乾が五割をきっていた。いや、もっとだ。3割くらい?こうなると、地下の根は完全にやられる。里芋のような田んぼでも出来るものであれば別であるが。畝上に植えた葉ものが消えてなくなるということは、虫に食べられたのでなければ、根がやられて枯れたということだ。そういう現象があちこちに見られた。過剰な雨に耐えた根を持った葉ものが、今収穫されている葉ものだ。フリルレタスやサニーレタスは、実に美しい葉を伸ばしている。
帰農して十五年が過ぎたが、土に接して一番教えられたことはといえば、まさに乾湿を繰り返すことの重要性ではないかと思う。土の表層には微生物が無数に存在し、空気の好きな微生物やそうでない微生物が混在している。その微生物が、乾湿の繰り返しによって相互に行き来しあって土は変化していく。乾のみ湿のみと偏ったならば、微生物もまた偏りを見せる。日本という国は、高温多湿で四季があるといわれるが、微生物にとっては最良の環境かもしれない。あの荒れ果てた「とーと畑」が、堆肥や草の根によって単層から多層の様相に変化してこれたのも乾湿の繰り返しのおかげである。どんな作業もいつかは終わる、と心得たのは農作業のおかげだが、どんな激情の雨もいつかはやむし、どんな日照りにもいつかは雨が来る、と天に教えられた。「いつかはここもよくなるのかなー?」と「とーと畑」で恭さんは僕に何度も尋ねてきたが、実際に多種品目の野菜が毎日収穫できるようになってきたのであるから、乾湿を繰り返すことの偉大さは何よりも恭さんが知っているのである。
2004年11月11日 寺田潤史