「地球の懐に抱かれて その四」
先週、久しぶりの雨だと書いたその雨は、夜には記録的な集中豪雨となり、次の朝のトップニュースとして報道されていた。そして三日後には、また雨が激しく降った。ひとたび雨が降り出せば、これでもかこれでもかというくらいに雨が叩きつける。この現象は、農民にとっては思案のしどころである。何といっても、畑を耕して豪雨に打たれると、畑は泥流となり当分の間耕すことが出来なくなる。やっと晴れが続いて畑が乾いたなら、早く耕したいという思いが当然出てくる。満を持してトラクターに乗ると、また豪雨がやってくるのである。そしてまた泥流となる。こうして農民は途方にくれるのだ。
幸か不幸か、この間の晴天続きに、僕は体調を崩していた。気管支に違和感が出て、咳が止まらない。熱はないが、診療所で「夏の疲れがだいぶ残っているね」と言われた。ガソリンや排気ガスなどの臭いに敏感になっていた。だから、畑仕事は極力控えて、仕分けや配達などを主にして体を休めていた。抗生剤をいただき、煎じ薬を飲んでいた。そして、先週の集中豪雨である。体調を崩していなかったなら、嬉々としてトラクターに乗っていただろう。そうなれば、今年の玉葱の植え付けは大幅に遅れること明白であったはずだ。不幸中の幸いというべきか。稲の脱穀も、機械が故障していたので延期していた。昨日ようやく脱穀を終えたが、あわてないでよかったのだと思う。
秋になると、十五年前に帰農した事をしばしば思い出す。一五年前の九月いっぱいで九年ほど働いたアルバイト先のスーパーを辞して離京したのが、もう遠い昔のような気もする。こちらに戻って、まだ健在であった親父の手伝い(主に草刈であったが)をしながら、てーて畑を開墾し始めたのであった。紆余曲折があったが、野菜を買ってくれる方々の需要を満たすべく、少しずつ走りはじめ、結婚もして、機械を導入し、お店への出荷もはじまり、アルバイトを雇う事までして、更に走り続けた。子供にも恵まれ、親父の死で状況が変わり、アルバイトを雇う事が出来なくなり、無理がたたって体を壊す事が多くなってきた今日この頃であるところへ、気象条件の厳しさが増してきたのである。
ここらで一休みして、というわけにはいかない(農民に休みなどない、というのは言い過ぎだが、一年中温暖なこの地方で一年中多品目の野菜を育てているならば休みは限定される。毎年行っている十二月の湯治休養の一週間だけは休みをいただいている)。でも、少し地球と相談しながら、体とも相談して、音楽とも相談しながら、もちろん家族とも相談しながら足を進めることにしようと思う。ようやく少し寒くなりだして、たまに薪ストーブに火を入れ始めている。冬はいい。野菜の成長も遅いから、人間の歩みも遅くなり、木を切って薪を作り、落ち葉を掃いて集めてストーブに入れることができる。その時間がいい。薪ストーブの周りに人が集まり、湯気が立ち、畑でとれた野菜を煮込む。近くの海で獲れた魚を肴にどぶろくを飲むのもいい。もうすこし、流れというものに乗ってみようと思う。流れが速いと錯覚していたところがあったのかもしれない、と省みている。
2004年11月18日 寺田潤史