「破天候?な二〇〇四年をかえりみて その一」
師走である。依然として暖かい日が続く師走である。破天荒ならず、破れた天候であったといえる今年の締めくくりは、気持ち悪いほどの異常な暖かさに彩られている。天候不順の彩などは要らないのだが、海流の蛇行は地球の血液循環が支障をきたしている証拠であろうか?日本の冬は、やはり寒い冬であって欲しい。
やっと乾いた大地は、せかすように玉葱を植えなさいといっているようなので、一週間とかけないで二万本あまりの玉葱の苗を植えつけてしまった。あと少々、補植に千本ほど植えて今年の玉葱はおしまいだ。さすがに疲れた。牡蠣ガラの粉末を肥料散布機でまき、堆肥をマニュアスプレッダーで散布し、トラクターで畝立てして、鍬を使ってマルチを張った。運搬車に苗のトレーを載せて搬送し、木酢液を混ぜた水にトレーを浸水し、玉葱移植機にトレーをセットして植え付けた。一畝約七十メートルでトレー八枚弱、四条の植え付け穴が二千二百個ほど。苗の不出来などの理由で畝上に放り投げられただけの苗を手直しし、欠株に補植するのは勿論手作業だ。最後に、ブームスプレイヤーで散水して一工程の終了。
ありがたいことだ。晴天が続く。機械が使える。体が動く。仕事がはかどる。今年の玉葱の収穫がよい出来ではなく、十月で玉葱の出荷が停止したことから、来年こそはと万全を期してきた。やはり、二月から玉葱を収穫して貯蔵種は翌年三月まで出荷していきたい。そのためには、畑への植え付けまでが勝負であったのだ。この破天候の中を、我慢して我慢して待っていた甲斐があった。玉葱と葉ものの植え付けに使う機械類に四百万円から五百万円を投資して現在もローンを支払っているが、それらがものをいう季節になったのだ。これだけの破天候を予想していたわけではない。この不毛であった「とーと畑」にはそれらの機械が必要であったし、破天候であればあるほど、あらゆる野菜の植え付け時期がごくごく限られてくるから、機械類の出番が貴重になってくる。本来、年をとってからの一種の予防というか保険みたいな機械類導入であったのだが、今となっては、機械の整備が野菜の出来を左右する重要なことの一つになってきている。まったく意外なことだ。
野菜は、大地に根付く。大地に根付いた野菜が、地上部を豊かにして、あるいは地下部を変質させて、人間の食する目的のものが収穫されるにいたる。野菜の成長を全うさせてから、結実にいたるものを食すものもある。どちらにしても、それらのことは野菜の種のもつ本来的な遺伝的な性質によるものである。当然のことながら機械とは一切関係ない。車の部品のように、機械が機械を作る、あるいは機械が部品を作るということはありえない。言ってみれば、天候が野菜を作るのである。人間の存在以前から存在していたものが、野菜を育てているのである。人間はあくまで、人間の意志によって、その成長を手助けしているのだ。その手助けをするのが農民であり、僕は農民の一人であるが、野菜の主体である天候というものが劇的な変化の時期に来ているようなのだ。ここが、手助けする側の大変なところであるのだ。そして、今年は、そのことがもっとも顕著な年のひとつであったと言えるだろう。
2004年12月2日 寺田潤史