「こぼれ種の会」
有機農業という言葉や、無農薬という言葉が使いづらい時代だ。有機認証制度ができてから、まことにおかしな道筋が敷かれている。農薬は使わない、化学肥料は使わない、という有機農業の大原則を、この国の制度が捻じ曲げてしまったからだ。使ってよい農薬や化学肥料があるというこの認証制度は、本当の有機農業をしている人から有機という言葉を奪ってしまった。この制度の根幹は、大規模単一作物を前提としている。一方、本来の有機農業は多品目栽培の輪作が基である。この資格を取るには、畑一枚ごとにすべての作物の数だけの認証が必要になる。僕たちの仲間も誰一人として、この認証制度の資格を取ったものはいない。
農林水産省が今月調査している、農林業経営体調査票というものを僕も記入したのだが、その中に環境保全型農業への取り組みを行っているかどうかの質問がある。農薬、化学肥料を地域慣行の半分以下で栽培している面積を書くようになっている。当然、僕のところはすべての面積が該当するわけだが、農薬や化学肥料を何も使わないという選択項目があってよさそうなものだ。環境保全型農業への転換が地球にとっては至上命題であるのに、取り組み方は実にあいまいなもので、役人が机の上で何を考えたところで、現場の声を吸い上げる努力もなしには何も期待できない。
この地方での僕たちの無農薬無化学肥料の仲間のグループの名は、「こぼれ種の会」という。野菜の成熟によって、種ができて、種の自然落下によりその周囲で発芽して育った野菜を、こぼれ種から育ったというが、そんな野菜は虫や病気にやられにくいのである。それを人間の世界でも、自然に輪ができて広がっていけたら、という意味でこの会は名付けられている。正確には、除草剤を一度だけは使う作物のある仲間もいる。もう、十数年が発足からたっているが、最近はこの会では主だった活動をしていない。年に二回の勉強会と新年会、忘年会だけである。ところが、たったそれだけのことであるのに、お互いのやり方の意見交換によって、実に多くの実践を変化させる事ができている。
先日も、勉強会があった。生分解マルチフィルムの使用歴を聞いて、さっそくうちでも春じゃがいもに導入してみることにした。面白い話では、里芋は冬に地上部が枯れてしまうが、そのまま春まで畑に置くことによって小芋がわずかながらでも肥大するかどうかの話題になったとき、地上が枯れてしまったのだから絶対に大きくならないと思い込んでいた人もいた。僕も含めて複数の人が、春には大きくなっている里芋を確認している。皆、有機農業といっても、やり方が違う。やり方が違えば、観察する部分も違うのである。だからこそ意見交換によって、自分のやり方を少しずつ変えていくのだ。グループというものは、何もこぶしを上げたり、共同体を作ったりするだけがよいのではない。心の拠りどころとなるような仲間がいるだけでも、個々の歩の進め方は違ってくる。国の制度が妙な方向へ行こうとも、個々が消費者とつながっていることが大きな安心を生むという事実を、積み重ねていかなければならない。
2005年2月10日 寺田潤史