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先週は、同級生のことを題材にさせていただいた。今週も同級生のことである。先週は女性の同級生だったが、今週は男性の同級生である。遥かなる、と書くと、大げさな年数を想像するが、人間の記憶が薄れると、そこはすでに遥かなる時代となるだろう。 高校時代からの友人のAが、張り切って宴会の計画を立てた。いつものゴールデンウィークの宴会とは別に、久しぶりの同級生Bを目玉に、大学時代に東京の阿佐ヶ谷に集まっていた同級生を呼んだのだ。いやはや、そのAの執念たるや相当なもので、会場を提供するくらいにしか思っていなかった僕は、いつもの宴会のつもりでいた。実際に、通常の宴会と変わらないで始まった。 久しぶりに会うBは、髪の毛が少なくなっていた。Bとは、高校の同級生であるが、同じクラスになったことはない。いや、高校の同級生の中で仲が良く、長い付き合いになる半分以上の人が、一度も同じクラスになったことはないのである。一度も同じクラスになっていないのに、浪人時代、東京の江戸川区平井にて、Bと同じ下宿に住んだ。近年、記憶が薄くなるにつれて、なぜあの時、同じ下宿に住むようになったのか、どんどん曖昧になっていった。 宴もたけなわ、庭でのバーベキューから、納屋へ移動して歌を歌いはじめた。先週書いた女性の同級生に高校時代に歌ってもらった、自作曲「月明かりの夜」の楽譜をあらかじめCに渡しておいた。Cは、やる気満々で、「月明かりの夜」の楽譜を出してきた。そして、歌いはじめると、何とその宴会に出席している同級生八人の誰もが歌っているのである。みんなが「月明かりの夜」を知っている。男どもの大合唱だ。同級生の一人Dが言う。「何だこれは、『風』の曲じゃなかったのか?」Dは、きっと元うたを聞いたことがなかったのだろう。元うたの女性の歌声を聴かずに、誰かが麻雀でもやりながら歌っていたであろう「月明かりの夜」を覚えてしまっていたのだ。 それから、かぐや姫などの古いうたを皆で歌った。若い時代に聞いた歌を歌えば、誰もがその時代に突入していく。そうすると、本音をおのずと語るようになるものだ。そうやって、皆がいろいろな思いを語りだす。久しぶりに会ったBの言葉を聞いていると、まんざらでもなくなってくる。話の理解が深いのだ。これは、うまく言葉にすることが難しいが、うわっつらの言葉ではなくて、深い思いやりを持って話している、と言ってよいかどうか? 皆が、本質は何も変わらないで今に至っている。いろいろなことがあったし、今も誰もが大変な思いをして生活をしている。僕がまんざらでもなくなったのは、俺って人を見る目があるんじゃないか?と思えたことにある。僕が、浪人時代にBといっしょの下宿に住んだのには、やっぱり理由があったんだ。もっと、軽い理由だったんじゃないかと思っていた。もしかすると、やっぱりその当時は軽い理由だったのかもしれない。でも、お互いへの理解は、説明しがたいが深い。 人間は、この道を歩いているつもりでも、誰もがいつの間にか、知らず知らずのうちに道を外れる。僕も外れっぱなしだったかもしれない。でも、そのうちに、自分の本質からずれていることに気付く。そして、また、本質に戻る。人間とは、本来そういう生き物なのだろう。ただ、本質に蓄積された経験と感情は、分かち合えたらやっぱりいい。
2012年5月2日 寺田潤史
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