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23年前まで東京に住んでいた僕が、帰農を決意した時、相当に切羽詰まった状況にあったと思い出す。常に自分と対峙し、音楽と対峙し、狭い空間であえいでいた、そんな印象である。志を同じくしていた音楽の相棒も、相当なショックであったろう。負け犬のように田舎に引っ込んでしまうことは、東京に住む人にとっては夢をあきらめることのように映るのだ。僕は僕で考えがあって帰農したのだが、再び一緒に音楽をやろう、という気持ちになるまで16年を費やした。
農の環境というものは、とても良いものである。何と言っても、大地や草、風、雨、太陽、星、月、暑さ、寒さ、そういったものが渾然一体となって存在する。人はその中にいるだけで、ちっぽけなものであると認識させられる。ちっぽけなものであることに、みじめさが伴わないのである。えてして人は、経験によって何ものかをつかみかけると、突然にやってきた試練に自分の小ささを思い知らされるものだ。ちっぽけであることがみじめに感じられる瞬間だ。農の環境では、それが日夜続く。日夜、常に自分はちっぽけなものであることを言われているようなものだが、大自然というものはものを言わないから胡散臭くも説教臭くもないのだ。
ものを言わない大自然が、まるでものを言っているかのように感じさせるものは、その姿である。風景しかり、動物の動きしかり、虫と花の関係、野菜の形など、自己主張しているかのようだ。自己主張はするが、そこには生命そのものとしての尊厳だけがあるかのようである。ものの価値などを振りかざしたりはしないのだ。音楽の発露を考えるとき、右を向いても左を向いても人間の価値観だらけの中、自分がひとつの生命として音楽と対峙することの解放感、自由な感じ、それが必要だ。人と人との関係に辟易した時にも、大自然は何事もなかったかのようである。
帰農する前には、音楽は人間のためにあるものだと感じたが、人間からの解放感こそが一つのエネルギーとなるように今は感じている。流行の音楽を好きな人は、流行の音楽を聞けばいいのだ。安くて立派な野菜を好きな人は、そのとおりにすればいい。それが生き方の選択というものだ。お金がない人がお金の奴隷になっていたら、ずっと奴隷のままである。自分自身の解放、それが必要なのだ。中国の人たちの一人一人も、自分自身を解放してあげたらいい、と思う。こうして、考えの間口を広げてしまったなら、間口を狭めて、また元の自分にさっと戻ればいい。
長い年月というものは、継続した積み重ねがある限り、自分の色を知らず知らずのうちに出させてくれる。時には、惑わされてもいい。何者かに惑わされたとしても、それは自分が自分であることを確認する術となる。回り道をしたと感じても、それは回り道でなく必要だった道だ。自分の本来持っているものというものは、そんなに悪いものではないはずだ。
大地や草、風、雨、太陽、星、月、暑さ、寒さ、こういったものは、人間が尊厳を持って生きていることを知らしめてくれる。アメリカの奴隷制度が、結果的に黒人によるブルースを産んだが、虐げられた彼らも同じように、大地や草、風、雨、太陽、星、月、暑さ、寒さを感じただろう。人を恨んでも、大自然を恨むことはなかったのではないか?時代は変わっても、人間というものはそんなに変っているのではない、と思うのだ。
2012年9月27日 寺田潤史
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1 | 台風禍 | バジル | スィートバジル | シソ科 | 2012年4月15日播種 | 2012年6月15日から収穫 |
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2 | 台風禍 | オクラ | スターライト | アオイ科 | 2012年5月15日播種 | 2012年7月25日から収穫 |
3 | 台風禍 | にら | サンダーグリーンベルト | ユリ科 | 2007年2月14日播種 | 2012年3月5日から収穫 |
4 | 台風禍 | ししとう | 伏見甘長 | ナス科 | 2012年2月15日播種 | 2012年7月1日から収穫 |
5 | 台風禍 | ししとう | つばきグリーン | ナス科 | 2012年2月15日播種 | 2012年7月1日から収穫 |
6 | 少 | 玉葱 | 七宝早生7号 | ユリ科 | 2011年9月23日播種 | 2012年5月10日から収穫 |
7 | 台風禍 | 空芯菜 | エンツァイ | ヒルガオ科 | 2012年3月15日播種 | 2012年6月5日から収穫 |
8 | 少 | 葉ねぎ | わかさまパワー | ユリ科 | 2012年1月15日播種 | 2012年5月1日から収穫 |
9 | 台風禍 | ピーマン | 京波、京みどり | ナス科 | 2012年2月15日播種 | 2012年7月15日から収穫 |