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正直なところ、58歳という年齢に大きな思い入れはないけれど、崖っぷちというか土俵際というべきか、余裕もなく日々の生活を格闘している。その格闘から開放されるのがサッカーのことに関わる時間なのである。有機農業が僕の仕事であり、ライフワークは音楽制作であることに変わりはなく、サッカー観戦は趣味の部類であった。長男のサッカーが加わったことで、音楽制作は中断している。長男のサッカーサポート時代は仕方がない、と割り切った結果である。
その長男のサッカー練習に付き合っているうちに、サッカー観戦の熟度が深まってきた。毎日のように、長男のキックを見てダメ出しをしたり褒めたり、あるいは自分でキックしてパスを出してシュートをして、ということを繰り返しているうちに、サッカー選手のキックがどのようなものかがいつのまにか少しずつ分かるようになってしまったのだ。足のどの部分にボールが当たり、何を意図してキックするか、あるいはミスをするか、そんなことは昔はあまりわからなかった。ただ、フリーキックでどの程度曲げられるか、などは今だにわからない。長男の技術レベルと同じような進歩だと言っていいかもしれない。
先日、1974年のワールドカップの決勝の映像を久しぶりに見た。ゲルト・ミュラーとベッケンバウアーの西ドイツに対するはヨハンクライフのオランダである。当時14歳だった僕は、リアルタイムかどうかは覚えていないが、この試合をテレビで見た。サッカー熱の源はこの試合にある、と言っていい。だが、久しぶりに見た感覚は当時とは違うニュアンスだった。子供が大人の試合を見るのと、大人が大人の試合を見る違いのようなものか?当時の選手たちも、やはり技術はかなりのものであったし、闘志のようなものは今と変わらないだろう。
長男は、この試合を見て、「なんかおかしいでしょ?ずるくね?めっちゃスペースあるじゃん」と言った。「みんなどんどんドリブルするけど、あんなにスペースあれば楽だよね」と言うのである。今のサッカーは、総じてプレスが早く、子どもたちの試合でもスペースがない状態だ。しかも、アカデミーなどの練習では、さらに狭いスペースで行われ密集する。そこでプレイするには、瞬時に体の向きを変えてフェイントし、相手の逆をつくことでスペースを作って視野を広げる。そしてパスを出すのである。
長男のこのようなプレイを見て、6年生になってはじめて指導を受けるアカデミーのコーチは、「ダッシュゼロで、ミスもゼロ、福田のイニエスタだ」と持ち上げた。子供の特性を有名選手に見立てて指摘し、子供達のトレーニングを操る指導方法かな。「今度のコーチをだんだん好きになってきた」と長男は帰り道の車中で言った。確かにこのようなコーチなら、いろいろな子供の良い部分を良い方向へ導いてくれるかもしれない。
ワールドカップサッカーが始まった。本番前の最後の親善試合で日本代表は、パラグアイ相手に攻守に良い連携を見せた。乾の守備も素晴らしかったが、個人的には以前から、香川がいるだけで点を取られにくい、と思っている。ポジショニングこそ最大の武器の一つである。どういうわけか、うちの長男もその特性を受け継いでいるらしい。
2018年6月14日 寺田潤史
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