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今年は、高校時代の同級生が二人他界した。これは大きなことだった。大学時代を一緒に過ごした仲間である。58歳になる前に二人共、一生を終えたのだ。それは、僕たちの年齢になれば、もういつ人生が終わってもおかしくない、ということを突きつけられたようなものだった。そう、自分の死が現実になることを自覚するということは、子どもたちや連れ合いの今後の心配をするということにもつながるのである。
YとTは二人共、ほぼ、苦しまないで逝った。Yは、去年の11月初旬、頭が痛いと言って倒れ動脈瘤破裂で入院し、そのまま意識なく1月10日過ぎに旅立った。Tは、5月中旬、心筋梗塞で突然他界した。二人共、苦しい日々を過ごさないで逝ったのだが、残された者はあまりの突然さに悲痛である。なんというか、空白感のような、理解し辛い何かが僕を包んでいたように思う。
今年は、災害も数多く起こり、テレビで唖然とする光景ばかり見たような気がする。北海道にいる次女が、地震による停電で避難生活を送っていたかと思えば、今度は僕たちが台風による停電を経験した。そしてその台風は塩害で僕たちを打ちのめした。驚いたことに、長野県を通過した台風が、遠く離れたこの地方に塩害を及ぼすなんて、今までの経験では推し量ることのできないことである。台風の勢力が異常に大きくなったことの証だろう。地球上のあらゆるところで、経験上の認識から逸脱した気候変動が起こっている。この調子では、来年も覚悟しなければいけないのかもしれない。
畑は、冬の凄まじい寒さから始まった。もう今となっては遠い記憶で、夏が暑かったのかさえ思い出せない。夏の野菜は好調だった。9月までは良かったのだ。この調子で10月もいってくれるかな?と思っていたところでの台風被害。あっけなく野菜は全滅に近い状態となった。そこから復活するために、種をまいてまいて、苗を植え付ける日々を繰り返した。そしてそれは今も続いている。
子どもたちのこと、とりわけ今年は長男のサッカーに時間を費やしたが、一方で天候とのせめぎあいはずっと続いていたことになる。何とかほぼ休み無しで働くことができたのは、カラダをケアするトレーニングやマッサージ、柔軟体操をしてきたことが大きな助けとなったと思う。もう、カラダのケアなしでは生きられないような年齢になったのだ。
僕の音楽制作はまったく中断したままで、ほそぼそと毎朝ギターのトレーニングだけは続けている。朝の柔軟体操は下半身中心だが、そのあとに両手の指を使うギターのトレーングをする。足の指と手の指を動かすことは、僕にとっては生きることである。本当は裸足で農作業もしたいところだけど、便宜上できないので、せめてマッサージをしてリフレッシュしている。いつ死んでもいいようにお金を残すことはできないが、せめて精一杯諦めない日々を送りたいと思う。いつ死んでもいいように、と言っても、まだまだ長男のサッカーを連れ合いと見ていたい、というのが本音だ。娘たちの未来もまだまだ見ていたいし、ね。
2018年12月20日 寺田潤史
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