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暖かな日が多かったせいか、年末に来ていっきに年が暮れた、という印象である。何もできずに今年が終わってしまうような感覚だ。やり残したことが山ほどある、が時間はない、というべきか。時間は平等に存在するとしても、あるいは自然界は変わりなく推移しているとしても、やはり人間世界の変わり目、節目には気が行ってしまうものだ。
去年は年末が忙しすぎて、まきの木の剪定を全て終わらすことができないで過ごしてしまった。一年中、剪定できなかったことが気になっていた。それで、今年は早めに剪定作業を始めた。長男も四女も剪定で出た枝葉の掃除を手伝ってくれる。とりわけ長男の掃除はきっちりとして几帳面だ。しかし、予想外に時間がかかっている。それは、去年できなかったことで、樹木が太く大きく伸び、放置した笹竹も伸び放題になってしまったためである。毎年やってきたことを完結できなかったつけである。
さらに、剪定用の電動バリカンを使うわけだが、無理な体勢で手をのばすものだから負担がかかり、手の指が腱鞘炎というか突き指風に痛む。何もかも、若い時のようにはいかないのだ。そういう意味でも、毎年少しずつ行うことの意味は大きくなっている。
昨夜、次女が北海道から帰省した。北海道は雪が降っていたらしいが、こちらに降りて風の強さに寒いと感じたという。昨日は強風が吹き荒れたから、体感温度は気温よりもかなり低い。髪を茶色く染め、少しは今風の女子大生に近寄ったかなという出で立ちである。はじめて彼氏ができた、と言って喜んでいる。「私はたまに議論討論したくなる性質があるので、そういうことにも寛容に付き合ってくれる人をさがしていた」そうな。また、北海道の新聞に挿絵を描く、という依頼もあったようだ。今年の展覧会の成果の一つであったのだろう。こちらに住んでいてはなかなか経験できないことを、北海道であれこれ味わっているようである。
長女は、大晦日に三女と一緒に帰省する予定だ。長女は今年二度、ドイツに行った。春は三週間ほどで、夏は二ヶ月弱である。来年、ドイツの大学院を受験する、という大望がある。そのための下準備なのだ。そのほかは、大学での演奏活動に忙しかったようだった。12月のはじめに演奏したものを聴かせてもらった。久しぶりに聴く長女の演奏は、安定して聴こえた。音程がかなり良くなったと感じた。そのことを伝えたら、師匠の先生にも「ほぼ音程は気になるところはなくなった」と言われたらしい。「周りの演奏の音を聴けるようになったから」というのが本人の答えだった。微妙な音程の部分が長女の課題の一つだと大学入学前に感じていたので、大学の四年間はそれなりに頑張ってきたことが証明された音だった。
昨夜も、次女を迎えに行ったあと、十九時頃から長男の練習に付き合った。トラップ、パスからのボレーシュート、浮き玉ドリブル、高速ドリブル、僕がキーパーをしてのシュート練習、一対一など、10種類以上のメニューをいつものようにこなした。とはいえ、ほとんどをストリートサッカーのような得点式の勝ち負けで行うので、長男は負けてたまるかといった風情で楽しんでいる。サッカーに明け暮れた一年だったなー。
2018年12月28日 寺田潤史
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