★ 「週刊てーて」+αをブログでどうぞ。 ☆ ひらく農園の野菜を入手できるお店
長女がドイツに旅立った。火曜日の夜、浜松駅まで連れ合いとともに、長女を見送った。高速バスを乗り継いで成田まで行く方法は、大きなスーツケースを二つ持って電車をウロウロするよりもいい、という長女の判断であった。その他に手荷物として、バッグとホルンを持つのである。水曜日の便で行き、一日経って「ドイツに着きました」とLINEメッセージが来た。
先週の扁桃炎を切り抜けて、病み上がりの日曜日、朝3時半に起きて、4時15分頃にはレンタカーで家を出発した。受験生の四女と、サッカーの試合を休ませた長男と、夫婦合わせて四人である。この頃は、子供をどこかへ連れて行く、というようなことはトンとない。長女の引っ越しを家族旅行になぞらえたというわけだ。引っ越しと言ったって、アパートを引き払うだけのことではあるが、長女の使っていた家具類の一部をもらうと喜んでいるのは四女と長男である。
道すがら、四年近く前の4月、四女と一緒に東京へ自転車などの荷物を長女の大学寮へ軽トラックで運んだことを思い出す。そして、その秋には、早くも長女は寮を出てアパート暮らしを始めた。その時には、配達用の軽自動車バンで、四女と三女を同行させた。そして三年半後、あっという間にアパート退去である。
朝八時半にはアパートに着いて、10時には荷物も積み終わり、長女も車に乗せて、今度は三女の働く品川のパティスリーへ向かう。ケーキ屋さんのある街は、先日テレビで商店街のお店を紹介したこともあって、日曜日のお昼過ぎは行列ができていたところもあった。三女の働くお店で、店長さんに挨拶をし、お菓子類を買って三女に別れを告げた。午後4時10分には、新東名掛川インターに降りることができた。
月曜日には、市役所で、長女の国民健康保険の脱退手続きを取り、携帯電話の解約も終えた。やるべきことはほとんど長女が自分でやっていた。海外送金の支度も整え、今後のことの段取りをお互いに確認した。火曜日に、長女は僕のおふくろと兄貴のところへ挨拶に出掛け、夜には風呂も入って、サラッと日本をあとにしたというわけだ。
日本に残っていれば、ホルンの仕事もあったようだった。それらをすべてなげうって、ドイツに渡る、そんな非現実的なことが本当にできるのか?と思っていたのだが、あっけらかんと遂行されてしまった。月曜日に、長女はホルンの練習をした。四女にお願いして、長女の練習の音をこっそりと録音してもらった。僕は、長女がホルンの練習する音を聴くのが好きだった。どんどん上達していく様を、あの柔らかい音色で聴くのが好きだったのだ。それはもう聴けないな、と思ったので、四女に頼んだのだった。
浜松駅に付く前に、コンビニに立ち寄った。長女が日本円を銀行に預けるためである。長女を待つ間、連れ合いと二人で話した。「前にもこんなようなシチュエーションがあったね」「いつだったかねぇ?」「大学受験の時かなぁ?」「ホルンのレッスンを東京に受けに行くときかなぁ?」子供を見送る、なんとも寂しいような、期待感や心配が空気を埋め尽くしているような、そのような微妙な雰囲気を、夜の闇に夫婦で共有した瞬間だ。
2019年2月22日
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