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「帰農して丸30年」

 この秋に、僕が帰農して30年という節目を迎えている。29歳の初夏に、農業という環境への憧れを覚えたと記憶している。農業関係の本を、その頃住んでいた国立駅近くの本屋さんの2階で物色して買い込んでいた情景を覚えている。その夏の7月頃には、親父に電話して、帰農する旨を伝えていたはずだし、アルバイトしていた24時間スーパーの社長にも伝えた。そして、多分9月の半ば過ぎに離職し、すでに生まれ故郷の家を継ぐべく戻っていた兄貴の運転する、幌付きのトラックに荷物を積み込んだのであった。

 僕の帰農は、音楽の相棒にも影響を与えたし、友達たちにも少なからずインパクトを与えたかもしれない。東京で音楽を続けるものと誰もが思っていたし、僕自身もその変化を予想できなかった。ただ、音楽を続けるには環境を変える必要があった。あれほど東京という環境が好きだった僕が、都心から離れ、国立駅北口の国分寺市に引っ越したのもその顕れだったのだろう。そこには3年ほど住んだと思うのだが、農の人となるなどとは当初考えもしなかった。

 東京での音楽活動は10年ほどだった。もうその3倍も農業人として生きている。そして、まだ生きられるなら、さらに生きようとしている。先週までは、もうこれで僕もお陀仏かと観念した。夏の疲れが出て睡眠を多く取り、熱も出ないしお酒を飲まずにいても背中の気管支の辺りが痛くて寝返りも打てなかったのだ。これは肝臓とか腎臓とか腸の辺りが炎症を起こしているのではないか?そう思って睡眠時間を増やしても、なかなか痛みは収まらない。いや、痛くてたまらないわけでもなくて、何かの拍子に腰をひねったりすると痛いと感じるのだ。

 よくよく考えてみれば、この夏は掃除の類ばかりしていて、ホコリをたくさん吸い込んでいた。ホコリまみれのパソコンを修理して部品を新調し蘇らせた。エアコン設置の副産物としての大掃除、屋根裏への侵入、四女の部屋の大掃除など、暑いのでマスクもつけないで動いていた。そして、小型の自走式草刈機も新調したのだが、それが極めつけだった。いつもの英国陸軍御用達の防毒マスクをしないで草刈りをしたのだ。不覚である。

 僕の気管支は、三〇代の血気盛んな農業者なりたての頃、排ガス規制の緩かった古いトラクターの黒煙をたくさん吸い込んだ。さらに、野菜の苗の土の自家製ブレンドでも粉塵を大いに吸い込んだ。それらのおかげで気管支炎を持病としたようなものである。四〇代半ばからは、件の防毒マスクさえしていれば気管支をやられるのは寝込んだ時だけとなったのだ。

 要するに、夏の疲れは睡眠を多くとっただけで熱が出るほどのこともなかったが、気管支は防毒マスク怠慢のおかげもあって炎症を起こしたのだろう。ただ、歳を重ねた分だけ治りが遅い。結局、今は全く痛みもなくなって動き回っている。食欲も旺盛のまま晩酌も再開している。まだ生きることを続けさせてくれるのだな、と思うと有り難や有り難やである。帰農して30年、しかし、農の夏も冬もたったの30回しか経験していない。ただ、この頃は、夏を越しただけで、ようやったなぁ、と自分を褒めてあげたいくらいの夏だ。音楽に特化した時間が限りなく少ないことが、30年前との大きな違いかな?

2019年9月19日


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