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この10月から、消費税が10パーセントになるという。奇しくも、僕が帰農した年、1989年の4月から消費税3パーセントが導入されたのだった。1997年には5パーセント、2014年には8パーセントにそれぞれ引き上げられた。そして、今回の10パーセント引き上げには、軽減税率やポイント加算などの迷走がついてまわる。庶民をなめているとしか思えない所業だ。
政治家は、昔から大風呂敷を広げて、大丈夫大丈夫と言葉を広げてきた。どうやったら国を動かすことができるか?という幻想を大志と勘違いして、庶民からお金を巻き上げる方法を編み出してきたのだ。国民年金でもそうだが、大丈夫と言った責任は、どなたが負うのだろう?国民年金などという体の良い言葉に騙されてはいけない。皆お金を払えば老後が安心だよ、という掛け声は、60歳まで生きたものだけが国民だとでも言いたげだ。その挙句の果てに、いい加減な年金管理と立ち行かない未来の財政がある。文句があるなら政治家になって動かしてみろ、という声も聞こえてきそうだが、誰も政治家のことを信頼してないからね。学校の勉強ができる頭の回転の早い人が、よからぬ世界におだてられて木に登るのだろう。
とはいえ、この国にいる以上は、法律は守らねばならぬ。政治家が一方的にしろ合法的に決めたことに、庶民は従わなければいけないのだ。そうして、この厄介な消費税に対応すべく、さらに労力と経費をかけて庶民はてんやわんやなのである。お前たちが勝手に決めたのだからお前たちがその余分な雑用を引き受けてくれよ、と思ったところで、やるのは自分たちしかいないことを労働者は知っているのである。
16歳のスウェーデン人グレタ・トゥーンベリさんがはっきりと物を言っているのは気持ちいいが、僕たち大人はあまりに斜めになりすぎてしまったのかもしれないね。言っても無駄、というスタイルが染み付いてしまったのだろう。ただ、自分の家族のことに関しては、多くの人が無関心を装うことはしていないようにも思う。
先日、野菜の配達に行った先で、久しぶりに信頼できる同級生に会えた。そして僕に彼は言う。「価値観が違うかもしれないけれど。もっと自分を大事にしたほうがいい。死んだらおしまいだよ」と。彼が概ねそのように感じているだろうことは、なんとなく想像できていたのだが、価値観という言葉が出てくるとは思わなかった。多くの心ある人がそのように僕を見ているのだろうな、とも思った。僕はもう、価値観という角度で物事を捉えていないということに気付いたのだった。ほぼほぼ、毎日が捨て身であるのだ。命がけ、と言っていい。
毎年、僕はオクラの種を播く。その年の夏秋を決する覚悟のオクラである。そして、種を播いた分だけは収穫する。今年は収穫の担当がほとんど連れ合いであったとしても、その収穫したオクラを仕分けて出荷する毎日だ。仕事量を決定するのは、オクラの収穫量である。極論すれば、僕たちの労働は野菜と天候が決めてくれるのだ。そして、そのことが子供たちにも当てはまるのである。大風呂敷は広げないで、働くのみだ。
2019年9月27日
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