★ 「週刊てーて」+αをブログでどうぞ。 ☆ ひらく農園の野菜を入手できるお店
もう冬至間近だとは、なんと早い一年だろうか?ここ数日、急に真冬の寒さが来て、いっきに師走らしくなった。と思っていたのも束の間、寒すぎて1月下旬とか2月の下旬くらいの印象で、今日は少し寒さが楽になったので春に向かいそうな気持ちすら出てきてしまう。あー、今年も季節感がおかしくなりっぱなしで、それでもクソ寒い、クソ暑い日々を両方体感できるのだから、日本であることは間違いなさそうな気候だ。
総括の話からはそれるかもしれない。昨夜、長女がドイツからLINEでメッセージをよこした。「最近食べるものを考えるようになったんだけど、調べれば調べるほどお父さんたちは昔からそこを考えてたんだんぁって思う。有機野菜も黒砂糖を使ってたのも、洗剤とかシャンプーとか」と。これにはびっくりした。昔、まだ長女が小学生の頃かな?いつかおとなになって無添加とかオーガニックとかを考えるようになるかもしれないから、今は強制的ではない形にするのがいいね、と考えて、主食を玄米から白米に替えたのだった。長女が遠足とかで持っていく弁当が玄米であることが嫌だった、ということが発端だったと思う。以降、できるだけ添加物のないものは選択するようにはしていたが、無添加でなければいけないなどの強い縛りはしないようになっていった。
三女も東京では雑穀を食べているようだし、子どもたちは一人暮らしをして色々と考えるようになったということかな?僕がこの頃よく思うのは、mustを標榜する団体が世界中にあるけれど、大事なのは自分の意思だと思う。意思というのは、月日をかけて何かを思い、何かを考え、どうしたら継続して能動的に生きられるか、ということの具体である。自分が、こうしたい、ああしたい、というだけでは意思と言えない。それを行動に移し、行動に移すことは周囲への影響を伴い、その上で継続を志すということ。それはまさしく子供がおとなになるということなのかもしれないね。そういう意味で、今年は新型コロナウィルスが子どもたちにもいろいろなことを考えるきっかけを作ってくれた、という年だったのかな?
去年の2月にネフローゼ症候群になりかけた次女は、入院することもなく、その後何の症状も出ないで、普通に大学生活を北海道で送ってきた。いつかまたそのような症状が出るかもしれない、という心配が、次女をして塩分を徹底的に計算した食事を摂る生活に変えさせた。それを継続できるところが、困難を克服しようとする意思によるものだろう。どうやら来年はこちらに戻って高校の非常勤講師をすることになりそうだ。小学生時代の小説家志望が、中学で漫画家志望になり、高校では油絵を志すようになり、最近は抽象画に傾いているようだ。今後の変化も当然あるだろうから、その変化を見届けることができるほどに僕も生きてみたい。
高校二年生の四女は、卒業後に働きたい、東京へ出たい、という強い願望はある。そのための準備をそろそろ具体化しようと思っている。仕事をさせれば何でもそつなくこなすとは思うのだが、やる気を持って取り組む仕事がどの種類のものになるか、本人次第だからそれを探す下準備をすることになった。まだまだ子供中心の生活だ。
2020年12月18日