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今日午後になって、県内七十四人目の感染者が出たことをニュースが伝えている。久しぶりの感染者だ。こういうことはこれからも起きるだろう。県をまたいでの移動の自粛は、今月十日の時点でいともたやすく友人同士の宿泊で反故にされている。このことで、例えば子供を持つ親が遊びたい子供を引き止めてきた経緯に対して、敵対行為ではないかと苛立つ人が多くなることが心配になる。
3月末に、うちの三女も友人同士の宿泊を計画していて、結局断念したということもあり、そのような新しい感染者のニュースは他人事ではない。ただ、できるだけの対策を皆が取って、感染に立ち向かうという過程を大事にしてほしいと思う。できるだけのことをしたけれど感染してしまった、というのは仕方がないことだ。なぜ、そう思うのか?この国の文化を進めてほしいからだ。
ドイツでは、ブンデスリーガが始まっている。感染者がまだ少なからず発生しているにも関わらずに、できるだけの対策をして早期にサッカーの試合を始めるということには、その国の矜持がある。文化というものを、本気で人の生きる大きな糧だと国が認識しているのである。もちろんサッカーだけではない。僕自身はドイツに行ったことがないが、ドイツにいる長女の話からは、文化に対する国の包容力が伝わってくる。ドイツの各州に文化に対する財政の権限が与えられているようだ。
日本では、まだ、人はパンのみで生きる、と思われているフシがある。人はパンのみで生きるのではない、ということを頭で理解しているつもりでも、内容は伴っていないように思われるのだ。僕たちは、そのパンに属する生産者の一員ではあるが、文化を生業としていると考えている。芸術もスポーツも、あるいは衣食住に関わる仕事、社会インフラに至るまで、それらが繋がっていることを常に意識して生活をしている。そこには、納得のいく服を作ったり、どんな音楽を聴くか、スポーツでどんなプレイをするか、なども含めて、全てに真剣さが求められるのだ。ひとつひとつのことが必要なことであるのだ。
確かに、新型コロナウィルスが僕たちの生活を変え、これからのスタイルも変えるだろう。しかし、大事なことはどう生きるか?という文化である。足元を見つめたなら、僕たちの育てる野菜が無農薬の有機農産物であったとしても、それはそれを食べなければいけないということではない。僕たちの納得いくやり方がオーガニックというだけのことなのだ。
日本人は、一人ひとりが極めることを目指したなら、技術は本当に高いと思う。だけど、そのカジを取る人が、自分だけを見て方向を間違えるということが至るところで見られる。最近のテイタラク、検事長の定年を内閣でどうにかするとか、その検事長がかけ麻雀の常習者であるとか、そういった方々に文化のカジを取る資格はない。そういったことが、本当にその人達の納得のいくことなのか?国民を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい、とたまには思ってしまうくらいだ。僕たちは構わずに、文化を前に進めよう。
2020年5月22日
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