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「樹木、雑木、笹竹狩り」



 1月から今年も忙しい、あっという間に立春を過ぎてしまった。何もしていない、と思うのは、歳を重ねて記憶を気にしなくなったからだろうか?ほぼ毎夕、樹木の伐採剪定、笹竹切りに費やしている。その仕事量の多さに、何かをしたという成果がほとんど感じられないのだ。

 この家に移り住んだのは、帰農して丸一年たった三〇歳の冬だった。もともとの生まれはここだが、一〇歳までここで育ち、20年経過してまた住みだしたわけだ。僕の亡き父が祖父と喧嘩して家を出たのが僕が10歳の頃だった。あの時、親父はまだ36歳だった。すでに鉄骨組スレート葺倉庫を自作していた父は、自動車教習所を新しく起業するためもあって、その自作した窓一つない倉庫に、家族5人で移り住んだのである。夏は異常に熱く冬は寒い仮住まいだった。その5年後に親父は新築の家を建てて移り住んだ。僕が高校1年になった頃である。

 浪人、大学を経て、僕は東京で音楽を志していた。そして、行き着いた帰農という選択。その頃には、祖父とも和解していた親父だったが、まさか僕がこちらに戻ってくるとは思っていなかったようだ。祖父は、すでに入院していた。この広い屋敷に、祖母が一人で住んでいたわけだ。祖母は、生長の家の熱心な信者で、放蕩三昧のような祖父とは対象的に倹約家であった。祖母は、篤農家の娘だったので、この家に来ても野良仕事を一手に引き受けたらしい。曾祖母とはうまくいかなかったようだ。僕がこの家に移り住んだ時も、家の中の掃除はしないが、家の外だけは異常にきれいにしていた。笹竹が他へ侵攻していこうものなら、笹竹を目の敵にして刈り取っていた。だから、僕が結婚した後も、祖母が95歳位までは庭の雑草などはすべてきれいにしてくれていたのだ。

 前置きが長くなったが、祖母が他界して数年が経つ。その間、笹竹や雑草、雑木の類は伸び放題になった。ちょうど長男のサッカー選手になりたい、という希望が出てきたときで、僕は毎夕方を長男のサッカーに付き合う練習時間に当てた。当然ながら、毎日の出荷で畑仕事は超絶忙しい。樹木のことなどかまっていられなかった。サッカー選手なんて、そんな簡単になれるものでもないので、半端なことはできなかったのである。

 そして、1昨年からジュニアユースに毎日自転車で通うようになった長男の、サッカー練習に付き合うことはほぼなくなった(今はまた練習に付き合っているけれど)。そこでようやく樹木雑木笹竹との時間を持つことができるようになったのだ。しかし、その間の数年分の伸び放題は、やはり相当にジャングル的だ。畑にまで侵攻してきた笹竹は、日陰を多く作り出してしまったし、蚊の大発生の要因にもなっている。もともと蚊の多い屋敷なのだが、夏は樹木に関わることはほぼ無理なくらい蚊が多い。そうなると、必然的に冬から春にかけての今の時期が樹木と関わる時期になるのだ。

 ここへ来て、ファーマーズマーケットの配送がなくなってしまった店があり、自分で28qほど離れたところまで配送している。今までは13qほどの距離で3軒の納品だった。時間が一層なくなった。樹木との格闘は、より綱渡り状態である。

2021年2月5日


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