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「年齢との折り合いの付け方 その2」



 あわよくば九〇歳まで、という本音には、いつ死んでも仕方がない、という気持ちの他に、なんとしても生き延びてやる、という執念も含まれている。だから、脳梗塞などにできるだけならないように、常に体調には気遣うようになった。自分の体調を気遣うことは、「我あり」そのものである。一瞬、若い頃と変わらないな、と思うことがあるが…。

 二九歳で帰農を決意したきっかけの一つに、「我あり」ばかりの生活が嫌になった、ということがある。アルバイト先のスーパーの往復と、ひたすらギターの練習をすることに専念した生活だった。今のように、インターネットもパソコンもiPhoneもなかった時代である。テレビはニュースだけを見た。今と変わらずに晩酌は楽しみだった。晩酌と言っても、その頃は二四時間スーパーの夜勤が多く、朝九時まで働いて、10時半ごろアパートに戻るような生活だったと思う。新宿から国立まで車での通いが多かったので、通勤にも時間がかかる。夕方18時頃起きて、22時頃までギターの練習をしていたと思う。アルバイトのない日には、夜にクラシックギターの練習をしては近所迷惑なので、車で多摩川沿いなどに行って、車の中で練習していた。おまわりさんも見回りに来たが、練習をしていれば何も言われなかった。

 そのような我しかない、みたいな生活が嫌になった。自分意外は、ほぼ人工物の中で生活していたから、余計に「我あり」を強く感じたのかもしれない。だから、野菜の苗を買ってきてアパートの庭に植え付けたりし始めていた。そうして帰農したのだが、やはりドカンと大地が居座っている感じの故郷は、「我あり」を強く感じさせない。野菜に囲まれた生活、結婚して子供達に囲まれた生活、草や樹木に囲まれた生活、オーガニック仲間に囲まれた生活。そういった中で、音楽を継続し、音楽を考えた。野菜は違う。野菜には確実に意思があり、その成長の手助けをし、その育った野菜を希望する方に供給する。やり方に工夫は必要だし、天候というものに従順になる術は身についたが、余分なことを考える必要がない。

 音楽業界では、需要に合わせて作る商業音楽が幅を利かせている。それも確かに現代では必要なことかもしれないが、そうでないものも音楽である。音楽自身には意思があるようには思えない。意思のあるのは作り手側である。ただ、先に死んだ人の存在に何らかのエネルギーが加わって、作り手側に降りてくるということはある。それとて、作り手側の経験や鍛錬の結果に大きく左右されるだろう。そのようなことを考えるのは「我あり」ではないように感じる。

 今、自分の体調を気遣うことは、家族のことを考えるという意味では、「我あり」ではない。自分の音楽を創作していく、そのことだけをしているならば、「我あり」なのかもしれない。長男が、サッカーに専念する環境を整えることは、長男に「我あり」人間になる素養を与えているようなものかもしれない。長女のホルンしかりである。しかし、その「我あり」こそが人の存在意義であり、自分が大事であれば、他人が他人自身を大事に思うことを理解できるように思う。60歳という年齢になって、そのような自分の考えていたことを少しずつ言葉にできるようになってきたのかもしれない。まだまだだね。

2021年2月19日


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