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オリンピックの開幕が迫っている。しかし、世の中には微妙な空気が流れている。首都圏には、4度目となる非常事態宣言が出されることが決まって、予想通りに新型コロナウィルスはインド株などとともに感染者を増やしている。専門家でなくたって、あれだけの人出を報道で見れば予想はつくだろうし、非常事態宣言を解除する時点で誰もが予想していたことだ。
誰もが予想できることを、まさか一国の総理大臣が予想できないわけがない。もし本当に予想できなかったのなら、これは単なるお馬鹿さんであり、神輿の上に載せた者たちや周囲の官僚は病気か何かであろう。つまり、予想できることを、予想できないような物の言い方にすり替え、全てを政治の道具として司っている、ということになる。オリンピックの開催と観衆を入れる、という強気な発言の裏に「最悪の場合には無観客」という言葉を用意しておけばよいだろう、というシナリオは、いささか子供じみている。
子供といえば、総理大臣や大臣たち、政権幹部という意味不明な人たちの発言は、子どもたちが真似をするように仕向けているのだろうか?いや、子どもたちには、政治家のマネはしてはいけないよ、と釘を差しているのだろうか?質問に対する答えは、常に用意された同じ言葉の繰り返しで、質問の内容を理解していないハグラカシたような答弁ばかりである。学校で、子どもたちが、同じことをしたら、先生はきっと怒るだろうな。政治家というのは、反面教師の材料なのだろうか?
政府というものは、そんなに権限があるものなのだろうか?お酒やガソリンなどの税金の載せ方なんか酷いものがある。それなのに、非常事態宣言を出して、酒は出すな、と一方的に決めつけておいてその分の保証をしない、なんていうことは、どうみても政府の勝手気ままなわがままにしか見えない。休業要請、時短要請、それはすべて政府が8割は保証する、ということでしかなし得ないことだと思う。そもそもがGo Toキャンペーンなるもので人心の緩みを醸し出して、感染を拡大した張本人が政府なのである。感染の国外からの流入についても、その水際対策と呼ばれているものが、当初からザルであったようだし…。
オリンピックを目標にやってきた選手たち、彼らの頑張りと、政府の無能さを、同じ土俵の上で議論してはいけない。選手たちは、病院で頑張っている医療関係者や、ひたすらに耐えている時短要請されたような人たちに対して、心を砕いている。そもそもスポーツに政治を持ち込んではならない。政治は、医療体制のバックアップをすべき性質の役割であり、医療者の要求を聞くべき立場のはずである。どうして政治家が威張っているような状況が許されるのだろうか?頭を下げて素手を差し出し、現場にいる人を支えるのが政治であろう。
政治家がこういう体質である、ということは多くの人が同じような体質下にいるということを意味しているのだろう。スポーツ選手だけでなく、国民の誰もが、政治家に頭を下げるようなことがないような、そのような時代の到来が待たれる。政治家や官僚は、単なる提案者となり、決定は国民が注意深くすべきだが、お金が絡むからねー。
2021年7月9日