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信じられないことに、今朝の試合で日本代表がスペインに勝ってしまった。ドイツにも勝ってスペインにも勝つ、これが真剣勝負のワールドカップの舞台であるのだから、長いことサッカーファンで良かった、という人はたくさんいるのではないか?グループステージの途中の段階で、一位通過してなおかつトーナメントで日本が登場する、なんとも楽しみがおまけのように続いている印象だ。ワールドカップに出場すること自体が夢のようなことであった時代を知っている人にとって、良い時代になったとこの複雑な時代に感じることにも驚きである。
さて、二戦目のコスタリカ戦である。ドイツに勝って多くの人たちが勝利を楽しみにしていた試合は、その多くの人たちをがっかりさせたばかりでなく、論議をも起こした。その時点で、スペインに勝てるわけもない、と多くの人が考えていたから、なぜコスタリカ戦を死ぬ気で戦わなかったのか?引き分けで良い、という共通認識を監督が選手に植え付けた結果、ということも多くの人々をがっかりさせた原因であろう。
そしてまた、一部のインターネットユーザーによる一部の選手へのバッシングもあったようだ。僕は、インターネット上のソーシャルネットワークにコメントを書き込むことはまずないので、僕の目にしたバッシングはごく一部だった。それは、どうしてバックパスしか出さないのか?というごくありふれたものだった。ある意味では当然の反応だと思う。森保監督もドイツ戦後の称賛から、掌返しの人々の反応を歓迎していた。しかし、代表選手たちは、それらのバッシング記事も読んでいたのだろう。今日のスペイン戦のあとの田中碧選手のコメントでは、「どうして同じ国民なのに一緒に戦ってくれないのか?」という発言とともに、一つのバネになったようなことを言っていた。
僕の考えでは、それらのバッシングのコメントした人は、当然ながら日本代表と一緒に戦っていたと思う。一緒に戦っているからこそ、バックパスが続くことが嫌になるのである。もっと簡単に言えば、多くの人々は、コスタリカ戦も精一杯攻めてほしかったのだと思う。それをしなかったのは、監督の采配である。日本がこれから、もっと強豪国になって、サッカーが庶民の間に根付くためには、1億サッカー総評論家になることを歓迎する空気が必要だ。メディアに発言を任せていると、称賛しかしないような、サッカー忖度が横行してしまうからだ。現に、テレビのサッカー解説を任された方々は、批判的な発言が極端に少ないのである。ヨーロッパや南米では、メディアがサッカーのレベルを上げることに貢献していると思うのだ。
つまらないことを書いたかもしれない。スペイン戦での、僕の考える勝因は、冨安選手の後半での起用である。怪我をしているのでフル出場は無理だと考えられたが、やはり出場すると、ことごとく相手の左サイドからの攻撃によるピンチの芽を摘んでくれていた。彼のポジショニング、危機察知能力、スッとした判断の早いパス、それらがなかったら後半に確実に失点していたはずだ。もちろん、三笘選手もよかった。何よりも守備が向上していたから。次戦の相手はクロアチア。モドリッチをどのようにケアするか?
2022年12月2日