★ 「週刊てーて」+αをブログでどうぞ。 ☆ ひらく農園の野菜を入手できるお店
1週間が早い。怒涛の日々を送っている。しかし、その怒涛の渦中にいるのは、僕と連れ合いだけである。夫婦二人の農家は、子供のことがあるとはいえ、自分たちで自分たちの仕事を決めているようなものだ。しかし、実際には、野菜さまのご意向に沿っての仕事である。僕が種を播き、育てた苗を自ら畑に植え付けて、収穫に至った野菜たちであるが、予想外に収穫が多かったり、集中的な収穫作業が必要だったりするわけなのだ。
この頃で言えばズッキーニ。そんなにたくさんの苗を植え付けたつもりはないのだが、収穫が予想以上に多くて毎日費やす時間も多くなった。ズッキーニは、人間が交配してあげないとダメなタイプの野菜である。まだ収穫には至っていない胡瓜も露地栽培であるが、人工交配は必要ない野菜だ。ズッキーニと胡瓜の中間的なものが南瓜で、交配しなくてもそこそこ収穫できるが、人工交配したほうがよりたくさん収穫できる。だから、毎朝、ズッキーニと南瓜の交配にも時間を費やすというわけなのだ(この頃はプーさん蜂が雄花の花粉を総ナメにする)。
そして、玉葱。収穫期を迎えた貯蔵用の晩生種。雨が多くて、と思っていたところに、晴れ間の続く予報となった。慌てて一気に玉葱を抜いていった。出荷の終わった夕方に、僕が玉葱を抜いて、連れ合いが玉葱の葉を切り落としていく。5条植えを60メートルほど。流石に疲れた。若い頃は、70メートルを何本も作付けていたが、この頃は早生種などと合わせてもせいぜい2本。これで一年分の玉葱である。丸一日外に転がしておいて乾燥させる。次の日の夕方に、その玉葱をコンテナに収納し、軒下に運び出す。もう一日二日呼吸熱を放出させて、それから冷蔵庫に入れる、という算段である。よくもまあ、貯蔵して大丈夫な野菜を人間は見つけ出したものだなぁ、と感心するばかりである。そして疲労がどっと来る。
その怒涛の日々に、信じられないような事件が起きる。それで疲労はさらに精神にまで浸透しそうである。歌舞伎役者が親子で話し合って「死んで生まれ変わりましょう」と一家心中。冗談ではない。最後まで無様でもいいから生きてこそ役者魂ではないのかな?襲名というのはそういうことではないのか?仕事では一切プライベートな話はしなかったということだが、それが逆に世間とかけ離れて飛躍してしまった一因のようにも思えてくる。
さらに、果樹農家の跡取り息子による猟銃射殺と自宅での立てこもり事件が起きる。まだ起きたばかりで、詳細が報道されたわけではないが、精神を病んで農業大学を中退して実家に帰った長男が、農業をやりたいと言い出して、プラムなどを熱心に栽培していたという。このことから想像できるのは、どんなに自分に合った職業をしていても、仕事とは別のプライベートな自分との向き合う時間、人と向き合う時間、そのような時間にこそ未来を向こうとするか、が重要だということだ。あくまで想像だが…。
僕が毎朝でもないけれど仏の間で手を合わせる時、「今日も朝を迎えることができました」とつぶやく。仕事でエクセルに今日の日付を打ち込む時、「今日までなんとか生き延びたよ」と自分を褒める。生きようとする人を、手助けしようよ。
2023年5月26日