★ 「週刊てーて」+αをブログでどうぞ。 ☆ ひらく農園の野菜を入手できるお店
この時期になると、毎年否応なく年齢を意識させられる。先日は、30年以上も豆腐類を送ってもらっている(共同購入のような形で野菜とともに一部のお客さんに販売している)お豆腐屋さんから「私も70歳になりましたがお互い怪我もなく病気もなく働くことができるなんて奇跡ですね」とメッセージをいただいた。僕は63歳という初めての体験をしようとしているところなので、70歳にはどうなっているかの具体的なイメージは湧かない。では、この1年で何が変わったのだろうか?
そう思って、1年前の週刊てーてを見てみると、娘のコロナウィルス感染の濃厚接触者として隔離期間を送っていた。コロナ禍を無事に乗り切った、というのが60歳を過ぎた最も大きなことだったかもしれない。週刊てーてには、去年もこの時期は仕事で疲れ切っていたと記していたから、この忙しさは毎年のことなのだろう。そして、去年の隔離期間中に新しいギターを注文したのだった。ちょうど1年そのギターを弾いたことになる。
僕が音楽に向かうと、とりわけギターに向かうと、結果的にエネルギーは高まり、野菜の仕事の能率も上がる。それで長生きができるなら、と連れ合いの許しをもらった1年前。そのフルアコギターは、実に弾きやすい。そして、副産物として、ほかのギターも弾きやすくなったのは意外だった。ギターには、それぞれのスタイルとして特徴のほかに、個体差という特徴もある。もちろん音も違う。僕の所有するギターの中で唯一の国産ギターとなったそのフルアコギターは、非常に整った日本製らしいきっちりとした造りのギターである。そのために他の古い外国産ギターの癖を癖として認識し直した、というのが僕の脳と両の掌の感触である。
ギターを弾く、という行為は筋肉運動である。何度も何度も同じことを繰り返していくうちに、自分の筋肉と脳がなめらかな連動をするのだ。それが自然にできるようになると、その連動とともに客観的に音色やリズムを聴き分けることができるようになる、それだけのことである。ただ、同じことの繰り返しを永遠にするには、好きでないとできない、という微妙なニュアンスを伴うことは確かだと思う。そのようなことを、今更ではあるけれど、新しいギターを弾くことによって認識したのがこの1年だった。
もう一つの僕の働く原動力の一つに、サッカーがある。とりわけ長男のサッカーは、この1年で進歩を見せ始めている。完全にサッカーおたくの僕は、長男のすべてのプレイをくまなく見る。ポジショニングを含めたボールのないところの動き、とりわけ守備に対する予測に連動した動き、さらにワンタッチパスの精度など、長男のサッカーのファンと呼ぶには収まりきらないおたくぶりである。この頃では、スピードが加わってきたので、迫力も出てきた。完全に親ばかを超えている。この1年を、できれば怪我なく乗り越えてほしいが、この重要になるであろう1年の1試合1試合をこの眼でできるだけ見たい、というのが僕の希望だ。
同時に、4人の娘たちの動向も僕の中心である。いつでも彼女たちを心配している。それだけは年齢には関係ないのだろう。好きなように生きてほしい。
2023年6月2日