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「鎮魂と習性 その2」

 近しい人が亡くなる、ということは辛い。六三歳という僕の年齢は、だんだんと辛さが増してくる年齢なのか?僕の親父が他界したのは22年前だから、僕はまだ40歳そこそこ。当時はまだ三女が生まれて一年経たないくらいの頃だった。葬式で涙が止まらなくなったことは覚えているが、来るときが案外早く来た、という印象だった。そのことに比べると、毎年のように親近感の深い方が亡くなるという状態は辛く感じるものだ。

 死というものはどういうことを指すのだろう?物質的なことではなくて、自分という固有の概念にとってどのような状態なのか?と車を運転していても考えてしまうのだ。どのように考えたところで、自分というものは自分の中にしかないわけである。誰の身にとっても同じであろう。その自分が無くなるということは、何も考えない状態になるのかどうなのか?そんなことを考えると、当然のように、死んだらおしまいなのは人間界において、だけなのだ。

 僕の一つの見方。現実世界は、すでに死んだ人々と生きている人々の総意ともいうべき世界である。圧倒的にすでに死んだ人々のほうが多い。しかし、現実世界をうごかすことのできるのは生きている人々。先に死んだ方々がどのように指図したとしても、生きている人々が動かす世界。例えていうなら、僕がどんなに息子のサッカーが好きで、子供の頃から息子とサッカーをしてきたとしても、実際にプレイするのは息子である。意図した過去があったとしても、現実は息子が自分で考え、チームの一員として振る舞い、自分の得意なプレイを自分で選択するのだ。僕はただ見守るほかはない。その見守る側が、先に死んだ方々、のようなものかな?そして、現実世界を生きる側である息子は、親が死んだとしても、息子の心の中には永遠に父親の存在が生き続けるのかもしれない。

 というように、例え話で考えを広げているうちに、死というものは有耶無耶な世界に追いやられる。運転中でなくても、畑で収穫をしながらでも考える。草は、人間によって引き抜かれて、放り投げられても、雨などの水分によって生き返ることもある。その場合には、草は引き抜かれても生きていたことになる。トラクターによって草が耕され、結果的に土に還るのであろうが、草の残骸が微生物に分解され、遺伝子は次に生えてきた同じ種類の草に還元するのだろうと思う。違う種類の草を促して、土を変えていくことに貢献することも十分に考えられる。草ばかりでなく、虫も木々もすべての生き物がそうなのかもしれない。そう考えると、循環しか存在しないことになる。

 つまるところ、人間も循環の一員のはずである。その人間が、地球を沸騰させようとしている。循環の一員に戻るには、もはや生きている人々の強欲さだけでは無理であろう。それならば、先に死んだ方々との対話が必要なのかもしれない。テレパシーなんかではない。そこにこそ、個人と先に死んだ誰かとの対話、つまり愛が必要なのだろう。結果的に、そのことが鎮魂に繋がっていくのかどうなのか?明日は、Mおじさんの葬儀に行ってくる。若い頃のおじさんとの会話を思い出しながら、これからもよろしく、と。

2023年8月18日





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