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先日のCNNニュースで、「今から約2億5000万年後、新たな超大陸の形成に伴って人類をはじめとする哺乳類は地球上から姿を消す可能性がある、と英ブリストル大学の科学者研究者らがそのような予測を発表した」と伝えていた。衝撃的なニュースだと感じたが、同時に多くの人はそのような先の話は関係ない、と思ったことだろう。無理もない。四十年で一世代だと控えめに見ても、2億5000万年後は625万世代あとのことになるわけだから。
しかし、僕が想像したのは、別のことである。今の時代でも、生きていくのは非常に大変なことのように思われる。まず、そこまで人類が生き延びることができるかは非常に疑わしい、と感じた。ここ数年、ここ数十年の気候変動すら、付いていくのがやっと、というのが僕の正直な感想である。それでも付いていけるところに、生命のしぶとさを感じるわけなのだが…。
そして、僕が一番危惧すること。それは、霊界はどうなってしまうのだろう?ということ。現在も、霊界がどうなっているのかは僕にはわからない。今僕が漠然と考えている世界は、何度か書いたが、現在生きている人の世界と過去に生きていた人たちの世界の総意で、現実世界は出来上がっている、ということ。圧倒的に大多数である先に死んだ人たちは、実際に今生きている人が動いてこそ満ち足りることができるのかもしれない。ところが、2億5000万年後になって、人が地球に生きられなくなった時、その大多数の先に死んだ人はどうなってしまうのか?ということを危惧するのだ。その中には、もう数年〜数十年後に死ぬであろう僕たちも含まれているわけだ。その2億5000万年後に、僕たちは、誰もいなくなった地球を眺めて彷徨っているのだろうか?
この話を昨夜の夕飯時に、次女にしてみた。「いやー、人間のことだから、とっとと宇宙に飛び出して行っているよ。霊界にいる者も一緒に移動しているに決まっている。霊界人は、一瞬で移動できるというし」と、超楽天的な答えが帰ってきた。これだから若いものはいい。年寄りになってきた僕なんぞは、心配するばかりだ。
ついでに言えば、次女の昨日の弁当に、連れ合いの作ったオムレツにケチャップがかかっていたそうだ。そのケチャップのかかり具合を見て、次女は思わず「山脈だ〜」と呟いたらしく、写真を撮って絵の題材にしようか、と悦に入っていたそうである。やはり、気狂いの子は気狂いであるなぁ、と僕は「それでいい」と嬉しくなった。どうもこの頃は、分別ある大人が計算式の中に礼儀正しく正否を裁いて生きている、そのような印象が強い。先に死んだ人がどう思っているかなんて思慮の入り込む余地のない経済社会は、僕には性に合わないのである。
常々、未来のことを考える余裕はない、と思ってきたが、自分が死んだあとには、霊界で気の向くままに会いたい人のところに行くのかもしれないな、と思うようになった。数日前には夢枕にどういうわけか内田裕也が出てきて、僕は「裕也さん」と呼び、彼の店で僕ともう一人のギタリストと3人でギターを弾いていた。裕也さんのファンでもないのに、なんで僕の夢に出てこなくてはいけないのか?と不思議に思っている。
2023年9月29日