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今年の最大の特徴は、天候の激変だった、と言っていいかもしれない。僕たちにとっては、毎日が天気との会話であることは30年前から変わらないが、その天気との会話が一方的に捲し立てられたくらいの、呆れに近いものだった。年々気候が変わってきていることを、10年以上は書いているような気がする。その変わり方が一気に加速した感覚なのだ。
日本の季節の移り変わり方は、実に多彩な表情に満ちている。気温のゆっくりとした変化で、年間において気温が35度ほどの間を上下するだけでなく、海に囲まれているせいなのか湿度も体感気温に大きく影響を与える。それらに応じて樹々や草花が微妙に彩りを散りばめていくのだ。野菜においても、それら気温や湿度に加えて日長や土質が関係しながら、味わい深い多彩な野菜が育ってきた。それらの季節に合わせてきた体系が、崩れ始めているのかもしれない。
目に見える樹々や草花が変わり始めると、目に見えない微生物たちの変化はどうなのだろうか?優雅にこれまでと同じように爆発的な増殖と死骸を土に還元し続けているのなら、彼ら微生物たちの総体的な生き残り方に変化はないのかもしれない。想像でしかないけれど。目に見える虫たちは、少なくとも野菜環境ではより逞しくなっている印象だ。年末直前になってのあの暖かくて暑いような日々で、シンクイムシ系の蛾の幼虫などの復活食害は予想外だった。例えば、ネットをかけた小松菜などにアブラムシの発生が多くなると、ネットを外して天然の気候におまかせをする。そうすると通常ならばしばらく日数を置くとアブラムシもシンクイムシも減っていくものである。それが今年は、アブラムシは減っても、シンクイムシは元気になってしまったのである。
亜熱帯に近いような天候になってきた、と最初に書いたのは15年とか20年前ではなかったか?実際に、もう亜熱帯に近いような、極端な天候になった。降る時は大量に雨が降り、暑い時には徹底的に暑くなる。かと思うと、今日のように寒気に覆われて気温0度を下回る。こうなったら、僕たちはそれを逆手に取って、違った作付けに変えていくほかはない。永遠性を求めがちだった野菜の作付け体系は、もはやその日暮らし的な、生きている間にこの天候と一体になることだけを考える、というような感じかな?自分たちだけが儲かればそれでいいというような農業、売るものには農薬をかけるが自分たちが食べるものには農薬をかけない、ということとは、違う次元の話だけれど。
この変わってしまった天候の中でも育ってくれる野菜、それを食べて美味しいと感じられるならそれでいい。お歳暮で頂いたブランドもののチョコレートの味にはがっかりするが、うちの手強い野菜が味わい深いのは自画自賛ではない。美味しいものを美味しいと感じられることが、次の時代を生き抜くのには必要なのだろう。人が美味しいと思うことではなくて、自分が美味しいと思うもの、それを信じることは悪くない。そういう意味で、この天候は、むしろ僕たちを強くしてくれているのかもしれないね。
2023年12月22日