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寒気が居座っている。風は猛烈に吹いて、体感温度は異常に低い。朝方ですら、雨戸の向こうを風の音がゴウゴウと響いている。一昨日は、午後四時で二度の気温に驚いたけれど、最高気温も四度だった。毎年、このような気候は必ず来るのだけれど、気温一七度の日々が何度も訪れるようなこの冬では、狂ったような格差にお手上げなのである。こういう時には、とおもむろに納屋のストーブの前に陣取って、確定申告の帳簿作業に取り掛かった。
さて、このような気候を、気象庁も扱いかねているのか、さっぱり予報が当たらない。気象庁にとっても、我々一般庶民にとっても、気候というものは意図しないものである。だから、僕たちは天気に左右されて、一年中右往左往しているわけだ。もっと言えば、意図しないお天気様の言う通りに生活させられている、と見えなくもないくらいである。
でも、それが本当は一番素晴らしいことなのではないか?サッカーなどのスポーツでよく取り上げられることに、「今のプレイは意図したことなのでしょうか?」というアナウンサーの質問に解説者が答える、というものがある。意図したプレイなら素晴らしいとか、意図したファウルならけしからん、とかである。つまり、考えがあってやった行動かどうかを、良かれ悪しかれ取り上げるわけである。
サッカーでは、相手のゴールにボールを入れる、という究極の目標が設定されている。しかし、味方も相手も十一人同士であるから、思い通りにボールを運ぶことはできない。しいて言えば、そこが面白いところなのだ。例えば、現在の日本代表などは、どちらかというとアスリートファーストというか、フィジカル重視な人選が多いのだけれど、そこを突き詰めていくと何だかつまらないサッカーになってしまうのである。そこに意図できないプレイを瞬時に編み出すような選手が入ってくると、サッカーの面白さがより伝わるのに、と思うのだ。
いや、サッカーの話をしようとしたわけではない。先程この週刊てーてを書こうとして、最近というかここ30年くらいずっと感じている表題の「意図しないことがすごいよね」ということを書こうと思ったわけだが、内容はまったく用意できていないのである。というか、毎週書いているほとんどの週刊てーては、用意しているものが何もなくて書いている。そこでサッカーが出てきたのは、お天気のことを書いているうちに思い浮かんできただけのことなのだ。
例えば、僕が連れ合いと出会った時のこと、それは全く意図していないところに、連れ合いが忽然と田んぼに出現したことを思い出す。僕だけでなく、ほとんどの人が、伴侶とかパートナーに出会う時、意図していないはずである。ここできっとあなたと出会うはずだ、だからオメカシしていく、なんてことはほぼないのだろう。逆説的に言えば、期待したものはすべて無に帰してしまうもの、と思っていい。それなのに人は期待をする生き物だ。つまり、期待して期待が外れて我に返るのである。そのどちらもが素晴らしい、ということになるのかな?この寒気に、僕たちはたまらなく受け身を感じているが、そこを楽しめば必ず次のことがやってくる。僕自身がとっても不安定な生き物であるんだけどね。
2024年1月26日