★ 「週刊てーて」+αをブログでどうぞ。 ☆ ひらく農園の野菜を入手できるお店
今を生きる、ということはどういうことか?はっきりしているのは、過去の事実に現在を重ねている、ということだ。簡単な例を挙げれば、スポーツ選手の日々の鍛錬である。何年もかけて一日一日を積み重ねたことを、生かすも殺すも、今日どんな動きをするかである。逆に言えば、過去に栄光があったとしても、今何をすべきか?ということでもあるだろう。
今何をすべきか?そのことを突き詰めたなら、過去にやってきたことへの納得と懐疑を自分に問うことになる。そういう意味で、自分はどこから来たか?ということは大きなことだ。自分が今やっていることが、間違いであるのかどうなのか?そこは石橋を叩いて渡る時期ということもある。前に進もうとすれば、そんなに多くの選択肢があるわけではないし、大きく外れることもないのかもしれない。ただ、間違っているかもしれない、という懐疑もまた重要だ。
禅問答のようだけれど、僕たちの農もまた遅々とした歩みである。連れ合いの育った環境は街の中であったけれど、彼女の母親(僕から見たらお義母さん)は家庭菜園をやっていたし、果樹なども植えていた。父親の在所に行けば、田んぼでレンゲ取りをしていたという。高校を卒業して大きな会社に入ったが、傍らで洋裁も習っていたので、僕と結婚してからも洋裁を続けている。そのような背景があるからこそ農の世界でやっていられるのだろうし、ましてや有機農業の手間のかかる世界で細かな作業が得意でなければ厳しい場面もある。
僕の親父は、長男だが、祖父(僕にとっての祖父)が病気をしたので、大学進学を諦めて弟3人を大学に行かせたという。その頃親父は牛を飼って牛乳を出荷していたし、鶏三千羽をケージ飼いしていた。僕が子供の頃は、家の中の土間に卵を洗う機械があったこともよく覚えている。ある時、僕のおふくろが山の中の在所に車で行く途中に、交通事故で車をぶつけられて肋骨を折った時がある。その頃は車を1台所有していただけだったのかは覚えていないが、親父はタクシーで事故現場まで向かったらしい。そのタクシーの中で、運転手に「自動車学校がいいらしい」という話を聞いたという。それがきっかけで、親父は自分でコースを造成して自動車の教習所を始めたのだった。土地だけはたくさんあったので、それを生かすためにも。
僕の親父がそのような背景を持っていたので、僕が帰農して有機農業をはじめたことも、ある意味で土地を活かす術と親父は感じたかもしれない。まさかそれが長続きするなどとは、誰も思わなかったようだ。何度も書いているが、僕は東京で音楽を志しながら「人って何?」に行き着き、結果的に有機農業の世界に入った。
今でも、自分たちの育てるその野菜の一つ一つが人にとってどのような意味があるか?という事ばかり考えている。その野菜が、どのように種を残して品種改良されていったのか?あるいは、1950年代以降の化学肥料や農薬を前提とした品種改良の中で生まれた野菜が、有機農業でどのような味に育つか?というところは大きな関心を持ち続けている。科学的な解明よりも、農業者として曖昧な表現による説明による伝承、というべきか?これからの世界でも、人が何を食べて生き残っていくかは、大きなテーマだ。
2024年3月1日