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「ひと一人の人生」



 昨日、僕のおふくろが他界した。88歳。米寿と言われるが、そのお祝いをするような風情ではなかった。今年1月になってから、リハビリテーション病院を退院し、僕の兄貴との二人の生活に戻った。食事や身の回りのことは、できる限りおふくろ自身がこなしていたけれど、この頃は少し弱ったのか、食後の後片付けなどは兄貴がやっていたそうだ。前日の夕食も一緒に食べて、昨日、兄貴が朝起きてきた時には、すでに息がなかったという。兄貴からの連絡を受けて、僕はその突然の死を受け入れるほかはなかった。そこからは、葬儀の準備で、気の回らない時間を過ごしている。これを書けば、少し頭の中を整理できるかな、と。

 葬儀場でのスライド写真を、兄貴と二人で探す。古い写真、見たことのない風景が次々と出てくる。おふくろの結婚前後のものもたくさん出てくる。おふくろは僕と干支が同じであるから、おふくろが24歳の時に僕を生んだ。兄貴を生んだのは22歳の時だ。山の中の育ちで、高校は女学校で愛知県の寄宿舎に住んだようだ。名古屋の洋裁学校にも通ったらしい。

 結婚した時には、おやじはまだ織物工場をやっていて、その後に、牛を飼い、鶏を飼って生計を立てた。おふくろと牛の写真は出てこなかったけれど、おやじが人を呼んで牛の出産を行うような写真は出てきた。なかなかに大きな車輪のフォードのトラクターの写真では、トラクターの前に付いているバケットで、堆肥散布機(マニュアスプレッダー)に牛糞などを積み込むような場面が見て取れた。また、今は、人力飛行機チームに貸している機械小屋に、鶏をケージ飼いしている写真もあった。それらの写真を見れば見るほどに、若いおふくろが、牛や鶏の世話を共にこなし、洗濯板で洗濯していることなど、大変そうだけど興味深いシチュエーションであるなぁ、と思う。

 おふくろが僕の妹を29歳で生み、その妹が小学校に上がらないうちに、親父とともに皆で家を出た。おやじとおじいちゃんが喧嘩したためである。親父が自作したスレートと鉄骨の窓一つない倉庫に住んで、自動車の教習所を始めたのである。たらいにお湯を張り、ビニールシートで囲った風呂や、穴を掘って作った外のトイレなど、今では考えられないような場所で5年間生活したのだ。それを明るくやり過ごしたのだから、今になって思えばおふくろは凄い人だったのだなぁ、と思う。

 僕が高校に上がると同時に、3階建ての鉄骨の教習所の事務所兼住居が完成して、そこに移り住んだ。おふくろは、県で初めての女性大型2種免許取得者となり、普通車やバスの教習もやった。そう考えると、何とも凄い環境に嫁いできてしまったのだけれど、よくもまあ耐えることができたと思う。おやじとおじいちゃんの取っ組み合いの喧嘩では、泣きながらおふくろが仲裁に入ったシーンを今でも僕は覚えている。

 晩年は30年ほど保護司をやって表彰されたりもしたけれど、おふくろが65歳の時にはおやじに先立たれ、穏やかな生活だった印象だ。ひと一人の人生というものは、様々な場面に遭遇するけれど、明るく生きられたら何とかなるものなのかな?

2024年5月1日




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