★ 「週刊てーて」+αをブログでどうぞ。 ☆ ひらく農園の野菜を入手できるお店
年寄りが年齢のことを書いたって面白くない、という人が多いと思うけれど、自分のための覚書の側面もある。その年齢はいつだって初体験なのであるから、新鮮であることも誕生日周辺に限っては確かだ。ただこの年齢、家族を守る年齢の上限に近づきつつあるのかも?
実際に、僕の現在の生活となってみれば、俄然年寄り臭くない。実質労働時間が1日に12時間以上で休日なし、なんて普通は過労死ラインかもしれない。40代50代の頃の子どもの世話を労働と捉えれば、今も変わりない生活と言えるかもしれない。ただ、それらの労働は、人に強制されてやっているわけではなく、好き好んでやっているか、野菜様の成長や収穫しておくれ光線を避けて通れないからである。
子どもの世話も野菜の世話も同じようなものだ。どちらも勝手に育つ。しかし、必ず手助けが必要である。対象の相手にしっかりと向き合えば、愛情は深まるし、どこに特性があるか、何をしたいかを聞きたくなるものだ。相手は機械ではなく、個を自ら持って生まれてきた生命である。どんなにロボットやAI技術が発展したとしても、人工物が自らの個を持って生まれてくることはない。機械は常にお仕着せであるけれど、生命には意思がある。
とは言え、実際の生活や仕事では、生命と生命は弱肉強食の部分はあるし、棲み分けがうまくいかないことも少なくない。畑では、オクラの種を播いたものが多分カラスに突かれて、今年は欠株が異常に多い。昨日今日とオクラの種を播き直した。昨日播いたオクラの種も一部ネットの上から突かれていたので、今日は二重にネットを張っておいた。これは、僕へのカラスからの仕返しなのかメッセージなのか、単なるいたずらなのか、思案しているところだ。
三〇年以上前のことだが、帰農してまだ間もない頃、西瓜を育てていて、もうすぐ収穫だなと思って眺めていたところ、カラスが舞い降りて何かを突付いた。僕は反射的に近くの石を拾って、カラスに向かって投げてしまった。それから数十分後に気付いたときには、西瓜はカラスに全て突付かれて全滅していたのだ。その時に、敵対心を持ってしまったらだめなんだな、と教えられ、それからカラスに敵対心を持つのをやめた。
今年5月下旬に、晩生玉葱の収穫をしていた時だった。玉葱の畝の隣の葉大根のネットのあたりで、小鳥たちが騒いでいるのに連れ合いが気付いた。カラスが小鳥を押さえつけてくちばしで突付いていたのだ。カラスはネットの外、小鳥はネットの中に潜り込んでいた。それを数羽の小鳥たちがやめろとばかりに騒いでいたのだ。僕が近づいていくと、カラスは諦めて小鳥を離した。ネットを少し動かすと、小鳥は息絶えてはいなくて、自ら飛び立って逃げたのだった。そのことがあったあとにオクラの種を播いたのである。
今回も、オクラの種をやられたとしても、カラスに敵対心はない。淡々と種を播き直して、ネットを二重に掛けただけだ。カラスは、人の生活に密着して生きている。僕がトラクターで畑を耕せば、カラスは必ず数羽であとをついてきて、耕された土の中に生き物を見つけて餌にするのだ。僕たちは、家や家族や人を守るだけでいい。
2024年6月24日