★ 「週刊てーて」+αをブログでどうぞ。 ☆ ひらく農園の野菜を入手できるお店
先週、「正直に言って、この有機農業という仕事を100パーセントでやっているとはとても言い難い」と書いた。そう書いてみて、あとから畑仕事をしながら考えてみた。そう、毎日を100%で過ごしたとしても、有機農業に特化した仕事だけをしてきたわけではないのだ。ある意味で、総体的有機農業の暮らし、とでも言えようか。
自給自足という言葉がある。その概念は、自分で農作物を育て、魚を釣って、鶏を飼い、自前で生活をしていく、というようなことであろうか。僕も、帰農する前にはそのようなイメージをよしとしていた、と思う。だから、帰農して開墾を始める前に、船舶4級免許を取りに行ったくらいだ。畑の次には稲作も10年以上やったし、友人の実家に頼まれて遠方までお茶栽培も数年やった。お米もできたお茶も実に美味しいものだった。
しかしながら、自給的な暮らしは、5人の子供を育てることで断念した。現代において、子供を育てることは社会との関わりも複雑すぎて、結果的に普通にお金をたくさん必要とすることを避けて通れず、野菜の栽培と販売に特化したのだ。子供には自分の人生を自分で決めて生きてほしい、という願いの部分が多くを占めたし、子供が本当にやりたいことは応援するということを一つの目標とした。もし、子供がいなかったなら、果樹や野菜を使った加工品にまで手を伸ばしていたかもしれない。そのためには加工所も必要になってくる、というような話しをしていた時期もある。しかし、ある時から、子供を育てることに目標を置いたので、それらには手を出さなかった。
20代から玄米を食べていたのだが、長女が小学生に上がったくらいから、弁当のご飯が白くないことを嫌がったので、お米も白米に変えた。有機野菜に無添加食品という生活はあっけなく崩れていった。そこには、お金がかかることももちろんあるけれど、無理強いはできないから、家族が自分で決めてくれればいい、というところに比重を置いた部分が大きい。野菜に関しては無農薬無化学肥料であるのは当たり前だが、すべての野菜を栽培していたわけでもない。生姜などを栽培しないことも多いし、そういうものは普通に買ってくる。できるだけ農的な生活、というくらいの緩さである。
先週書いたように、長年のお客さんが子供を育て上げ野菜料理でメッセージを子供に贈るようなことは、大きな目で見て世代的なうねりを醸し出せるような気がする。そのあとにまたSさんからメーッセージを頂いて、「茹でて刻んだモロヘイヤは、削り節と少々のぽん酢に合わせています。同じく茹でて叩いたオクラは、削り節に醤油です。空芯菜は、米油とごま油と薄切りのにんにくを火にかけ、砂糖、鶏ガラスープ、オイスターソース、醤油。煮なますは、祖母から引き継いでいるものです」と紹介していただいた。より具体的なのだけれど、このことは数十年のサイクルが後世に受け継がれていくことの一例だと言えるのではないだろうか?脇目も振らずに走り続けたけれど、それぞれの家庭がそれぞれに走っていたなら、見える部分や伝わる部分が違うので、バランスは取れていくのかな?
2024年8月26日