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人は人に嘘を付く。嘘も方便、という仏教の言い方もある。大きな善のためには偽りもまた良し、のような意味か。自然界でも嘘はあるのだろうか?虫が、その環境で目立たないように自身の色を変える、というのは生きるための方便なのか?
植物が、単体ではなかなか育たない場合でも、ほかの植物を利用してひっそりと枝を伸ばし、やがては手のつけられないようにトゲだらけの茂みを作る茨(いばら)のようなものもそうであろうか?2月頃、アカメガシワの根っこをトラクターで引き抜いたが、その大きな根っこには葛の太い根っこが絡みついていた。葛が、雑木であるアカメガシワが早い成長を見せることを利用しているのだろうか?うまいことやりおる、と思うのだけど、それらは嘘とか方便であるのか?生きる術と言えるだろう。
人間界の嘘、その嘘に嘘を上書きして、フェイクニュースだと嘘つきが嘘つきを分弾するような国では、お金だけが信頼できるものなのだろうか?そのアメリカの作家ティム・オブライエンの書いた「虚言の国 アメリカ・フォンタスティカ」を読み終えた。「嘘っていうのは、古代バビロンよりも古いものだ。それはわかっている。しかし嘘だと知りつつ、その嘘を受け入れるというのは新しい現象であるように僕には思える」と訳者あとがきの中で村上春樹がティム・オブライエンのインタビューを紹介している。
去年読んだ「土と脂」もアメリカに住む研究者たちの作品だったが、僕が30代の頃には、兵庫県に住む僕の叔父さんに紹介されてロバート・B・パーカーの本を何冊も読んだ。もう内容は忘れてしまったが、「アメリカ・フォンタスティカ」もまたそのような雰囲気の描写であった。余談だが、読み終えてからわかったことなのだけど、村上春樹もまたロバート・B・パーカーのファンだったそうで、だからそのような訳になったのかと納得した。話を戻せば、植物が、他の植物や動物、虫、微生物などとの生存競争の中で、植物が体得してきた方便のようなものを駆使して生き延びていく様と、人間界を嘘を駆使して生き延びていく様は、似て非なるもののような気もするのだが…。
僕が野菜との毎日の中で、彼らを騙して育てようとはしない。ほぼほぼ彼らは眩しい存在そのものである。昨夜は、トマト類の苗を納屋で鉢上げした。種播きして育ったものをより広い場所で育苗するための作業だ。広い、と言っても勘違いしないでほしい。直径2.5cmが4cmの広さの苗土に拡張されただけのことである。それはさておき、そのトマトの苗を見ると、本当に美しいと感じるのである。その茎からたくさん出ている産毛のような毛根のツヤツヤとした感じは、人が作るような代物ではない。しかも、品種によってしっかりと個性のある育ち方をしているのだ。はっきり言ってしまえば、トマトを収穫する段階よりも、そのような眩しい姿を見るときのほうが幸せを感じるくらいなのだ。その毛根が何かを調べてみると、トライコーム(trichome)という調整器官で、トマトの場合には害虫を寄せ付けない成分も入っているらしく、嘘は受け付けませんよ、ということなのかもしれないね。
2025年4月7日