








★ 「週刊てーて」+αをブログでどうぞ。 ☆ ひらく農園の野菜を入手できるお店

ズッキーニの季節になった。今年の春から初夏は、朝晩の冷え込みが続いた。気温15度以上30度以下がズッキーニの最適生育温度だと思うけれど、朝の気温が11度〜13度という日が続いたのである。そのためか、ズッキーニに必要な交配作業に遅れが出た。雌花に雄花の花粉をつけていくわけだけど、雄花の数が少なく、花粉の量も少なすぎたのだ。ズッキーニは19世紀後半に育成された南瓜の一種だが、人工交配の必要性が高い野菜だ。
人工交配しなくても結実しないわけではないけれど、尻すぼみ果になりやすく、実も大きくなりにくいのだ。言ってみれば、人間が手伝わないと人間の食材にならない、という南瓜と人間の馴れ合い野菜のようなものだろう。うちでも30年くらいは毎年育てているが、冬野菜から夏野菜への転換期のいわゆる野菜の端境期に、いち早く育ってくれる貴重な野菜である。この頃はズッキーニの認知度も上がり、好きな人も増えてきている。
ここに来てようやく雄花も花粉も潤沢になりつつあり、交配作業が進んで、ようやく通常の大きなズッキーニ(20cm前後の長さ)を収穫できるようになってきた。気温にもよるけれど、朝の8時ごろには人工交配を済ませておくような生活パターンがこれから真夏手前まで続くのである。地這胡瓜の収穫はもう少しあとなのだが、ズッキーニも胡瓜もうちではかがんで収穫をするわけで、腰を傷めないように腹筋運動もやっておかなくてはいけない。
ズッキーニや胡瓜の収穫期は、それらを毎日食すという期間である。野菜農家の特徴に、仕事と食生活が直結していることがある。旬の野菜の一番美味しい時期に販売もするが、自宅でも堪能するのである。自分たちの育てた野菜を美味しく感じられること、それこそがお互いが生きているという証なのだ。土や草や野菜や虫と人間が入り混じって生きている、その日常が当たり前のように過ぎていくわけだが、そこを楽しむこと、それこそが食の醍醐味である。
相変わらずに、毎朝、連れ合いの仕込んで焼いてくれたパンを食べている。グラスフェッドのバターと玉葱のマリネに、この頃はサニーレタスに春菊の生の葉を少しだけ加えたサラダがあるが、ズッキーニをソテーにしたものも毎日である。夜にも当然ズッキーニは、キャベツなどと登場する。これからもっと豊富になると、ズッキーニのサラダもある。
僕達の仕事は、僕達のサイズに合った野菜を作付けて、収穫できたものを買ってくれる人に届けることである。だが、何度も言っているように、野菜たちは僕達が育てるだけであり、作り出したものではない。生命の連鎖の中のほんの一部分を切り取って、それを必要な人に届けるという作業だ。このことは人間の歴史の大部分の年代において、多くの人がやってきたことでもある。ただ、今は科学という理解を落とし込んでいるに過ぎない。人というものは、理解したい生き物なのだ。人間社会では、技術的な上手い下手を論じたりもするが、自分の興味のあることを理解したいという想いは、多かれ少なかれ誰の中にも存在するのだと思う。野菜を理解して味わう、それが有機野菜農家のしたいことなのかもしれない。理解したい、と欲する生き物、そんな生き物が他にもいるのなら興味深いよね?
2025年5月12日