








★ 「週刊てーて」+αをブログでどうぞ。 ☆ ひらく農園の野菜を入手できるお店
昨日の朝は五時で気温8度もあった。一昨日の朝はマイナス気温。よくもここまで気温差が生じるものだ、と思う。一昨日は日中18度を超え、昨日も風が穏やかで暖かだった。ここからまた寒気が入ってくるらしい。概ね暖冬、寒気は厳しい、というのが今年の冬の特徴だろうか?僕たちの気候に合わせてのメリハリ生活は、天然自然側のメリハリ気象に合わせてのものだ。僕たちには決して、気候の側は合わせてくれない。そういうものと、人は常に割り切れることが素晴らしいが、動植物たちは神がかり的に割り切っているところがさらに素晴らしい。それを素晴らしいと取るか、天然自然がそのようなものであると進化してきただけなのか?人間には自分を褒めることが必要なのだ。この気候を乗り切った、などという褒め言葉だ。
堆肥の運搬作業を行った。もう30年以上も続けている。良質な堆肥を得ることが僕たちの野菜には重要なことなので、4トンダンプをレンタルして1日2往復で300q余りを走ることをやってきたが、30年以上続いたとなると感慨深さはある。その中の20年近くは子供がトラックの助手席に座っていた。滅多にお出かけしない日常で、目新しい景色と寄り道するコンビニでのアイスクリームなどの買い物、それらを目的に子供達はトラックの助手席を楽しみにしていたものだ。今では子供たちが大きくなって、助手席には再び連れ合いが座っている。
連れ合いは、突如舞い込んだこの時期の堆肥運搬が、道路の凍結でスリップするような事態を危惧していた。ところがどっこい、この暖かさである。陽が出ている時には、エアコンのクーラーを発動する事態だ。この真冬に、道中ではオープンカーに数台出くわした。バイクのツーリングの人たちも多く見かけた。それらの道中を楽しむ、ドライブを兼ねた堆肥運搬の味わい深さを、昨夜夕飯を食べに来た長男に連れ合いは説明しようとしていた。初心者マーク付きのドライバーである長男に、季節の移ろいを楽しむことなんて、理解できるはずもない。
週の半ばには、次女の油絵の展示を2箇所で見てきた。一緒に展示された、より経歴の長い人たちの作品との並列、そのような対比もまた刺激ではある。対比と言うよりは、堆肥である。土の重味と言うべき肥料濃度であろうか?次女の作品には、圧倒的に時間が不足している。筆が不足しているのだ。時間というものは、あるいは堆肥というものは、その成熟を待つ必要があるのだ。未熟とはよく言ったものだ。未熟な堆肥は使えない。だから寝かす必要があるし、空気を入れる必要がある。筆が不足していることを、次女は自覚しているし、加筆できるでしょ?と伝えれば「やりますよ」と応える。やっぱりこれはダメだった、という時間の積み重ねが必要なことは、熟練者ほどよく知っていると思う。ダメな自分を嫌というほど知っている。
次女の絵を外で見たのはかなり久しぶりだ。家には油絵の部屋があるし、次女が描いた絵は大抵制作途中から見てはいる。この気候のこのタイミングだからこそ見に行けた、ということもあるが、この季節の中でのことは記憶に残りそうだ。年末の餅つきの別角度バージョンともいうべき、木の燃える過程も描かれていた。感情のようなものを排除した絵を描きたいみたいだが、潜在的な背景がどこかで顔を出してくるのかな?
2026年1月19日
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| 次女の最近の抽象の一つだけど、この絵を観てきたわけではなく…。 |