2010/10/1-2012/3/18




2012/3/18
「限りなく詰みに近い五分」(かぎりなくつみにちかいごぶ)、いい言葉だ。詰んでるけど負けてないのだ。



2012/2/26
今月のある日、帰宅して郵便受けを覗いてみると、一冊の本が入っていた。表紙を見ると、私の学生時代の先生(一昨年に亡くなった)への追悼文集だった。何ヶ月か前に、追悼文集を企画しているが購入するか、というアンケート用紙が来ていて、はい、に丸を付けて返送したのを思い出した。


寄稿者は、私の知っている先輩やら名前だけ知っている方やら全く初耳の方まで様々。一つ一つは数ページの短い文章だけれども、どれもひどく胸を打つ。恩義のある人への追悼文、というのは強烈に――反則的なまでに、心を揺さぶるものである。


そして、追悼文を読む、ということは単に故人を偲ぶということではなく、その人を自己の中に再定義するということだと思い知る。これまで、決して追悼文を否定していたわけではないが、書いたところで故人にはきっと届かないよなぁ、とボンヤリ思っていた私。今頃になって、ようやくその意味を学んだ。ありがとう古茂田宏先生。



2012/1/23
よくできたラブコメを読んで、ひとり悶々としながら布団の上を転げ回り、俺の青春にゃラブもコメもねぇぞ、と思いながら、いや私は地下ゲーセンの住人、ラブもコメも関知するところではない、と開き直り(1)、でもまぁ強がりだって分かってるんだけどね、もうどうでもいいや高校時代も大学時代も還って来ないし、と再度開き直り(2)、でも2000年代というゲーセンが明らかに終焉に向かっている時代を、蝋燭の灯が細くなっていく様を眺め続けてきた、というのは自分にとって十二分に、あり、な青春だったのではないか、と認識を行い(3)、それでもまぁゲーセンに居る時間の10%でも他のことに振り向けていたら、わずかながらでも世間で言うところの明るい青春に近づけたのかもしれない、バランスが大切だよねバランスが、と思う(4)。


20歳の私は(1)で止まっていた。23歳なら(2)でストップ、26歳なら(3)で、そして先日29歳になった今は(4)まで考えられるようになった。私の精神年齢経過は標準より10歳強遅れて進行しているのかもしれない。



2012/1/9
転職して4ヶ月が経った。業界未経験だが中途採用ということで新人研修もなくいきなり現場にいる私だが、どうも今いる業界には特有の慣行やら、ものの考え方があるらしい。どう考えても理不尽な事柄もあるので、それに染まりきってしまいたくはない。けれども働く上で必要なことは覚えておきたいので、マニュアル的なものを探しに大きな書店に行った。


が、この業界に入るための対策本(採用試験対策)は山のようにあっても、業界内の新人向けの本は全くなかった。やむを得ず「新人はこう育てろ!」というような本を買った。入って4ヶ月の私が対新人コーチングの本を読むのはちょっとシュールだが、選択肢としてはありだろう。


ここから100%愚痴。今の仕事でも、時々、前職でやっていたような仕事をやることがある。が、この業界では基本的に専門業者に丸投げし、至れり尽くせりでその仕事をするのが基本のようだ。むしろ、そのようなやり方しかないし、ここにいる人はそれ以外知らない、と言ってもよい。なので、私が自力で作業をしていると、「何やってんの?」と言われ、説明しても全く理解されない。


例えるならば、食べ物としての魚といえばパックに入っている切り身しか知らないようなものだ。魚料理を作れ、と命令されたので、海で魚を釣ってきて捌いていると、「何やってんの! お前は魚を知らないのか? スーパーで売ってるパックに入ったのが魚だ!」と言われる。どれだけ安全で新鮮な魚を釣ってこようと、しかも元手はタダなのにそう言われる。自分で魚を捌け、とは言わないが、水の中で泳いでいる魚を解体することによって切り身になる、ということは知っておいてほしいと思う。そんな世界。


ちなみに、全員が全員、切り身しか知らない訳ではない。されど、「君の前職は漁師だったんだって? 僕は鯖の三枚おろしより塩焼きの方が美味しいと思うんだよね」と言われ困惑し、しかも相手が偉い人だったので、三枚おろしは料理の名前ではない、と訂正することもできず愛想笑いをする。そんな世界(あくまで魚の話は例え話、念のため)。



2011/12/19
この21世紀に、独裁者の二代目として世襲で後を継ぎ、期間はそれほど長くはなけれども独裁者として在り続け、誰にも殺害されることなく、天寿と言えなくもない年齢まで生きた、というのは、それはそれで凄いことなのかもしれない(探せば珍しくない例なのかもしれないが)。



2011/12/4
文章に「一桁は全角数字・二桁以上は半角数字、を止めろ運動」を追加。久々に長文書いちゃったと思ったらこの有様。生活に潤いがないとこうなるのかねぇ。



2011/11/9
帰路、少なくとも座れない人がいる程度に混み合った電車内。座席(ロングシート)の中ほどで、今時にしては珍しい学ラン坊主頭の男子高校生が、おもむろに弁当箱を空けて箸を運び始めた。「ロングシートで、しかもそれなりに混んでいる状況で弁当喰うってどうよ?」という考えが、一瞬だけ頭をよぎった。


が、様子を見ていると、彼は白飯だけを食べ続けている。二段重ねの弁当箱で、おそらくおかずが入っていたであろう段は既にカラ。漬け物の混入する余地すらない、白飯だけがギッチリと詰まったもう一段を手に、正々堂々とした態度で彼は黙々とご飯を頬張っていた。


「どういう経緯でおかずだけ先に食い尽くしたのか?」とか「おかず無しでよくご飯だけ食べられるなぁ」とか、雑念も色々と浮上しては来たが、いずれにせよ「学ラン坊主頭が、飯だけの弁当を食す」というロマンチシズムに私は撃たれた。


あまりにも分かりやすく、それでいて今となっては見ることの難しい情景を見せてくれた奴さんは、もしかすると一流のパフォーマーだったのかもしれない。ちなみに、電車を降り、二郎インスパイアなのに煮豚ではなくチャーシュー(何故か乾いていた)が入っているよく分からないラーメンを喰い、あまりの背脂の多さに吐き気を催しながら自転車に乗っていると、周りに森林など存在するはずのない住宅地の小径でタヌキを見た。


毎日こんな事が起こってくれれば、無益とさえ思える通勤路がエキサイティングになるのになぁ、と思う今日この頃。そういう商売ってないのかしらん?



2011/10/23
平日、帰宅してから眠りに就くまでに文章を一片ほど書き起こすぐらいの時間はあるはずだが、どうもそのような気にならない。食事をしてから毛布にくるまって横たわってしまうと、もう何をするでもなくただ寝床と愛し合うだけである。「横たわる」ことの魔力。いつまでも転がっていたい。


というわけで2週間ほど空いたが、前の文章で「「ラブレターは夜書くな」(「書け」というパターンも有)」と書いた。少しネット上を見渡してみると、理由付けによって3パターンに分けられるようだ。


1.ラブレターは夜書け…夜の方が昼よりも情熱的な文章を書けるから
2.ラブレターは夜書け…夜書くと情熱的になり過ぎるが、すぐには発送できないため、朝になって冷静な目で見直すことができるから
3.ラブレターは夜書くな…夜書くと情熱的になり過ぎて失敗するから


理由付けが上手くハマって含蓄がありそうなのは2番だろうか。もっとも電子メール全盛の現在では、すぐには発送できない、なんてことはないので、単純に夜には書かない方がいいのかもしれない。いつ書こうが推敲すればいいだけの話だが。


このように書いている私だが…(自分に対するものを除けば)ラブレターというものから縁遠い、ということはご想像(誰の?)の通り。まず、書いたことがないはずだ。少なくとも手紙で他者に対して好きとか嫌いとかを明確に表した記憶はない。そして、無論、もちろん、説明するまでもなく、当然のことながら、論を待たずして、語る必要もないほどに、ラブレターを受け取ったことはない。


…と、同義語を不毛に列挙していたら一つだけ思い出したことがある。あれは恐らく中学生のことだったと思うが、下駄箱にメモが入っていたことがあったような気がする。便せんではなく、白い紙片に一文、「テスト勉強がんばってください」と。


大変嬉しかったのは確かだ。私に対して私信を――それも好意的な内容の――をくれる人がいるというだけで、それは欣喜雀躍、ビッタンビッタンとその辺を跳ね回って喜ぶべきことである。が、内容を考えてみるといささか不思議ではある。


私に対してテスト勉強を頑張ることを望む人といえば先生か家族ぐらいしか思いつかないし、それにしては伝達方法が合わない。考え得るものとしては、純粋な好意からこの言葉をくれたのだとしたらとても失礼な話になるが、私の成績順位が上がれば憎きアイツの順位が下がる、という、敵の敵は味方理論があるだろうか。また、匿名の手紙で激励されると成績はどう変動するか、という社会心理学的実験の可能性もないことはない。もしくは、当時の私に対し、同情ないし憧れを抱く方がいたのかもしれない(極めて可能性は低いと思うが、なにぶん10年以上前の話なので)。


今のところ、人生最大の謎の一つである。答えを知っていたり、何かしらの推論がある方はぜひ連絡をいただきたい。



2011/10/10
前回の文章を読み返してみると非常に気恥ずかしい文章になっていることに気がついた。夜、眠る前、という他の何事にもエネルギーを振り分けなくていい時間帯に書いたせいか、色々とはみ出している。やはり「自分から自分に宛てた恋文」というのは妥当なようだ。「ラブレターは夜書くな」(「書け」というパターンも有)という格言にそのまま当てはまっている。だが私は撤回しない。


それはさておき、『Baba Yetu』(Christopher Tin)という曲がカラオケに入るのをずっと待っているのだが、その兆しは見えない。この曲、『Civilization4』というシミュレーションゲームのテーマ曲なのだが、今年のグラミー賞で、ゲーム音楽として初めて入賞したという話。なので期待しているのだが…。


この曲、Youtubeでオフィシャル版を聴くことができる。
Christopher Tin - Baba Yetu (Official Music Video)
キリスト教の祈祷文『主の祈り』のスワヒリ語版を元に作られたちょっと珍しい(?)曲であったりもする。タイトルは「ビバ、イエス」だし、歌詞に幾度と出てくる「アミーナ」は「アーメン」だ。私は別にキリスト教信者ではないが、何度も聴いていると妙な中毒性が生じてくる不思議な曲である。


ちなみに、この曲がテーマ曲として使われている『Civilization4』というゲーム、一言で言うと「文明対抗覇権争奪シミュレーション」である。世界史上の著名な文明(というか国)の一つをプレイヤーが担当し、他の文明と争って勝利するのが目的。最も古ければ紀元前4000年(多分)から始まり、プレイヤーは人を導いて、土地を改善し技術を発達させ、戦争したり外交したりして領域を広げていく。


面白いのは勝利の手段が一つではないことだ。無論、他の文明を全て屈服・滅亡させたり、一定以上の面積を支配したりしても勝利になる。が、その他にも国連を掌握する外交勝利、一定以上の文化ポイントを貯める文化勝利、宇宙船を建造して太陽系外の惑星に到達する宇宙勝利…と、必ずしも戦争をしなくても勝利を得られる。…もっとも、全盛を目指す文化都市に核ミサイルぶち込まれたり、宇宙船を発進させたものの首都にこれまた核ミサイルぶち込まれたりするので、軍備が不要というわけでもないようだが。


さて、こうしたゲームのテーマ曲がキリスト教の歌、ということでゲーム自体が「欧米万歳」なのかというとそうでもない。世界を席巻するハンムラビ(バビロニア文明)やら、防衛戦不敗のシッティング・ブル(ネイティブアメリカン文明)やら、常に世界最先端を走るマンサ・ムーサ(マリ文明)やらを普通に見ることができるようだ。そもそも宗教と文明が固定されていないので、儒教国アメリカやらユダヤ教国ドイツ(ヒトラーはいない。ロシアにスターリンはいるが…)も珍しい光景ではないらしい。また、仏教やヒンドゥー教と比べると創始が遅いキリスト教はやや影が薄い。


ただし、(軍事)技術などは現実に沿って発達していくので、時代が現代に近づくにつれて欧米色は強くなる。されどこれは世界史的な流れをシミュレートする以上はやむを得ないことではあろう。まぁ、ごく希に弓兵が戦車に勝ったりするのだが。


ここまでの文章で、やたらと伝聞形が出てきているのは、実は私がこのゲームをやったことがないからだったりもする。というよりむしろ、アメリカではこのゲームのせいで廃人になった人のための社会復帰支援団体がある、という噂のデンジャラスなゲームなので、私は手を出さないようにしている。しかし、攻略wikiを眺めているだけでも楽しいので、世界史などが気になる人はぜひご覧あれ(結局、廃人達の聖歌(=『Baba Yetu』)よりもゲームそのものの紹介の方が多くなってしまった)。



2011/10/3
PCのデスクトップの片隅に、ひっそりと「新規テキスト ドキュメント.txt」が置いてあった。なんのファイルだったかしらん、と開いてみると、4年ほど前に書き散らかしてここで公開していた雑文の群れだった。戯れに再掲してみる。2007/4/1-2007/8/29


当時、新卒扱いで行っていた就職活動の日記から始まっている。そこでは「一社だけ」と書いているが、結局のところ、複数社を受けて内定が出た企業へ就職した。4年あまり経過した今ではそこを退職し、(きっと何らかの奇跡が遂行されて)別の仕事に就いている。『クォース』の攻略記事を書いた頃は堂々の無職だった。


それにしても、4年前の自分の文章を読み返してみると存外に面白い。高校時代に書いたものを読む時のような特大の気恥ずかしさを感じることがないのは、当時の自分が少しは分別のついた段階にあったからだろうか(もちろん、現在の自分に分別があるという訳でもないけれど)。あの頃に読んでいた書籍の文体のせいか、随分と――過剰に――気取った文章ではあるが、必死にネタになりそうなことを書き連ねていることにどこか趣きを感じる。ちなみに、「気取った文章」というのは「――」を使いまくったりしているところに思いっきり表れている――すぐ前の文にもあったように。


いずれにせよ自分の書いた文章というものは面白いものだ。これは自画自賛している訳でもなんでもなくて、自分の書いた文章は「自分にとって」面白い、というだけのことだ。結局のところ、自分の書いた文章は自分へと宛てた手紙のようなものなのだから、どんな内容であっても興味深く読むことができる。それが好意であれ嫌悪であれ、自分に大きな関心を寄せる者から届いた手紙を読む時は常に興奮する。そのようなものだ。


これは今回、私が発見したのが過去の日記のようなもの、つまり、当時の自分の生活をありありと伝えるもの、であるからというわけではないだろう(もっとも、ゴキは殺してクモは生かす、というポリシーを書いた文章が「自分の生活をありありと伝え」ているかは分からないが)。自分の文章が自分に対しての手紙であること、はあらゆる種類の文章に付随する性質のように思われる。書き手は常に最初の読み手なのであり、そもそも文章は書いた端から読まれているのだから。書くということは読むということ。


ここまで書いて、自らのナルシスト気質がモコモコと膨らんできていることに気づく。書いてはupし少ししたら取り下げる、というような雑文がワラワラとHDDに残っていることを考えると、最近の私はこのような雑文を書く頻度が激減していた。うん、また書こう。自分で読むために書こう。そしてひっそりとwebの辺境のフチに引っかけておこう。自分から自分へ宛てた恋文が誰かに読まれるかもしれない――これほど興奮することが他にあろうか。


…と、いうようなことをまた考え始めている。後はまた山に登り始めれば学生時代の趣味にほとんど戻ることになるな。



2011/8/8
目指せ禄剛崎。



2010/10/31
文章に一つ追加。『クォース(QUARTH)』攻略TIPS。なんとビックリ4年ぶり。ゲームの攻略記事。誰も攻略を書いていないようなので簡単に書いてみた。やったことある人しか分からないだろうし、やっている人がいるかも分からない。そしてゲームの攻略なのにスクリーンショットが存在せず、ほとんど文章というアナログ(?)っぷり。


話は変わって、wikipediaのクルト・シュシュニックの項に面白い記述があった。シュシュニックというのは第二次世界大戦直前、ナチス・ドイツによるオーストリア併合(無血進駐)の時のオーストリア首相。ドイツから併合させろという圧力がかかってきた時の記述。引用する。
「だが、シュシュニックは24歳以上の国民によるドイツとの併合の賛否を問う国民投票を企図していた。オーストリアのナチ支持者はほとんど10代か20代前半の若者だったので、その層を投票から排除すれば、併合案は否決されるとシュシュニックは踏んでいた。」
どの程度、正確性があるのかは分からないが、今も昔も状況というか傾向みたいなものは変わらないんだなぁ、と思った次第(あくまで印象だけど)。もっとも、望んでいる結果が出るよう恣意的に投票権所持者を区切るやり方も酷いと言えば酷いんだけれども。


ちなみにこの国民投票自体は実施されず、ドイツ軍が進駐してきてから国民投票(選挙権20歳以上)が実施されたようだ。順番が逆過ぎる。結果はオーストリア・ドイツ共に99%の支持票があったそうな。その時の投票用紙に関するネタもリンクしておく(アドルフ・ヒトラーが行ったオーストリア併合に関する国民投票用紙-GIGAZINE)。



2010/10/20
『Yahoo!知恵袋』…やっぱりすごいな(言わずと知れたことだけど)。


セミオートとフルオートの違いを教えてください。;;のベストアンサーが、
「セミオート、フルオートは銃器の関しての言葉です。
セミオート:引き金を引く度に弾が出ます。
フルオート:一度引き金を引くと弾倉が空になるまで弾が出ます。」

…ってどういうことだ。セミオートはいいが、フルオートが危険過ぎる。一度、引き金を引いたら弾が無くなるまで勝手に撃つ銃…括約筋が緩いというレベルじゃないぞ。30発装填されていたら強制的に30発撃ってしまうのか。まさに「言うこと機関銃」。撃ち方やめれない。えぶりでい・おーばーきる。


本来のフルオートの銃器は「引き金を引いている間は自動的に弾が出る」。一方、セミオートの何が「オート」なのかというと、引き金を引いて1発射出してから、「自動的に」薬莢を排出して次弾を装填してくれる、というところがオート。オートじゃない銃器は1発撃ってから、薬莢排出→次弾装填、のための何らかの操作をしなければ次の弾は撃てない。


晒し上げみたいになってしまったが、こういったことがベストアンサーのまま修正することもできず5年間もそのままになっているのが楽し過ぎたので紹介した次第。


ちなみに軍用の銃はフルオートの銃でも、引き金を一回引く度に3発までしかでない仕組み(いわゆる3点バースト)を備えているものも多いそうな。理由は端的に銃弾の浪費を防ぐためで、結局、(実戦(?)だと)人間心理として引き金引きっぱなしで乱射してしまうとか何とか。それなら3発ずつ狙って撃った方が効果的なんだそうだ。まぁ、しょせんは人殺しの話ではあるのだが。



2010/10/10
全面核戦争について興味を持ち、調べ始めてから1週間に2度ぐらいのペースで都市核攻撃される夢を見るようになった。メガデス過ぎる。そして、その度毎に夢の中の自分がほんの少しずつ冷静になっていくのが妙に可笑しい。


核攻撃に対する有効な対処法はあるともないとも言えないようだ。もちろん、一概に言えることではないが、立っているより伏せている方がいい。屋外にいるより屋内にいる方がいい。簡単なものでもシェルターがないよりはあった方がいい。されど何をやっても生存できない時はできない。爆心地直下ならば地下数十メートルより潜っていなければ核爆発の直接的効果から身を守ることができないという話もある。そんじょそこらの地下室では生き残れないということだ。


…それでも、対策はやらないよりはやった方が生存率のようなものは上がる。もっとも、全面核戦争後の『北斗の拳』よりも酷い世界を生きられるのか――そのような世界に生き残ってしまうのは幸せなのか――は分からないが。


ちなみに核攻撃された時のマニュアルとして有名なものに、冷戦下イギリスの公共機関が作った"Protect and Survive"というブックレットおよび映像シリーズがある。これについては忘却からの帰還に詳しい(ブックレットを邦訳したPDFも有)。映像の方は、72時間以内に核攻撃が予想された時にテレビ全チャンネルで繰り返し放映される予定だったとのこと。


それと、これも忘却からの帰還で紹介されていたものだが、核爆発の被害範囲をgoogle map上に表示するGround Zeroというものもある。ブラウザ上で爆心地と核兵器の種類を選択してポチッとやると、完全壊滅領域・炎上領域・被害領域の円が表示される。何故か隕石衝突もシミュレートできる。…デフォルトの位置が広島原爆の爆心地なのが何とも言えない。


あとお詫び。9/18の文章で紹介した警報放送UKWMO 1980S WARNINGだが、説明書きを読むと"Total Fictional Look"と書いてある。映像は動画の制作者が作ったもののようだ。公的な映像として紹介してしまったので改めてお詫び申し上げる。



2010/10/1
9/30の夜10時にタバコが切れたので最寄りのコンビニに買いに行った。まだ値上がりしていなかったが、常用している銘柄がなかったので代わりのものを買って帰った。


タバコを常飲するようになって1年半ほど経つ。最初はタール1mgのものからスタートし、今では5mg前後のものに落ち着いている。上に「常用している銘柄」と書いたが、実は私の性質と同じく吸っている銘柄は日替わりでコロコロ変わる。


最もよく吸っているのがセブンスター・レボ・スーパーライト。セブンスターファミリーの中では最も軽いD-spec銘柄(においが少ない)。バニラなんて入っていないはずなのに何故かバニラの香りがする不思議なタバコ。パッケージがあまり格好良くないのと、置いている店が少ないのが難点。これがなければマイルドセブンと並ぶ大人気銘柄キャスター・マイルドで代用している。


今はもう居ない大馬鹿野郎がパーラメント・ライトのロングを愛飲していたせいか、今でも時々それを吸う。煙が天にのぼっていくのをゆっくり眺めたところでどうということはないのだが、パーラメントを吸う時は少しだけ首の角度が上がるようだ。だが、ちょっと味が濃過ぎるのが気になってきた。葉がぎっしり詰まっていて燃焼が遅く、長く吸えるのはいいのだけれども。すまんね、どうやら私にはあまり合わなくなってきたようだ(奴のことだからまだネットの海のどこかに生息しているかもしれないので、ここで私信をば)。


タバコの値上がりを機に、本数を減らしてみようかと思う。1日1箱ペースを2日1箱ペースぐらいには。




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