業務日誌(2002年12月その2)

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12月20日 (プチ日誌)

 風邪を引いたらしい。頭が割れそうです。
 この年の瀬で仕事が溜まっている時期に………とほほ。




12月19日 東弁村の選挙前(2)

 5日の日誌の続きです。

 東京弁護士会(東弁村)の選挙の話だったはずですが、その前に法友集落の中の一小集落、8班春秋集落のお話。

 春秋集落は400人以上の人口を抱え、法友集落の中でも大きな小集落です。実際、今年の東弁村の村長を出しています。

 この春秋集落の長(=幹事長)は、毎年集落の寄り合い(=人事委員会というご大層な名前がある)で、日本人らしく話し合いで順送りに決まってきたのですが、今年は大問題が起こりました。

 今年、集落の長を務めるはずの年(期)の者の中から手を挙げた人は「法友集落との関係を見直すべきだ」という意見の持ち主だったのです。

 その意見とは「春秋集落は法友集落の下請けではない。法友集落の寄り合いで村長候補を決めたからといって、法友集落が春秋集落に票のとりまとめを指示し、春秋集落がその中の住民に働きかけるようなことはよくない」というものです。

 一見、筋が通った正論なのですが、正直今年の春にはこのような方法で、法友集落の全面的な支援を得て村長を春秋集落から出した集落としては、ちょっと自分勝手な意見でした。

 春秋集落の中心メンバーの多くは、法友集落との仲が悪くなるのを心配し、立候補した人の一つ下の年の人を強引に口説き落として、対抗馬として立候補させました。かくして、めずらしい「集落の長を決める選挙」が11月に行われました。選挙と言っても、寄り合いのメンバーだけが投票するのです。

 なぜか、私も寄り合いのメンバーに入れられていたため、今までは1回も出たことがなかったのですが、選挙の日だけこの寄り合いに初めて出ました。いやー、すごい熱気でしたね。普段は20人も出れば大盛況の寄り合いに、50人も出席し、事務方は東弁村から村長専用の投票箱まで借りてくる始末でした。

 かくして選挙の結果、あとから立候補した候補者が当選し、無事、春秋集落は法友集落とこれまでどおり仲良くやっていくことになりました。めでたしめでたし?

注:後から出て集落の長になっちゃったのは当事務所の所長です。





12月18日 (プチ日誌)

 国立のマンション判決、14階建ての7回以上を取り壊せとは、豪毅な判決ですねぇ。
しかし、建築基準法違反も認めず、条例違反も認めず(施行前に着工したので適用が及ばないと認定)、それでいて「慣習」で取り壊しを命令するとはなかなか複雑な理屈です。住んでいる人はたまんないでしょう。

 最近また再開発があちこちで進んで、高層建築物と周辺住民の軋轢が激しくなっていますが、建てる前に裁判所が迅速に判断する手続きがもっと整備されないですかね。




12月17日 (プチ日誌)

 週刊朝日が2週連続で「勝てる弁護士」という特集を組んでますね。
 ちょっと見てみたら、我が入学金・授業料弁護団の事務局長も載ってました。しかし、まだ裁判で勝ったわけではないのですが(^^;まあいいか。




12月15日 東弁村の選挙前(1)

 私の子供のころの愛読書に、スエーデンのリンドグレーンという作家(「長靴下のピッピ」で有名)の書いた「やかまし村の子供たち」という児童小説がありました。

 スエーデンの片田舎の子供の生活を描いたもので、たった3軒しか家のない集落の主人公を中心とする6人の子供たちから見た話でした。

 ま、それとは全然関係ないですが、以前私が「人口4000人の村」と揶揄した東京弁護士会の選挙の季節がまたしても近づいてきて、村内がざわつきつつあります。リアルタイムで進行中の話ですが、リンドグレーン風に描写してみると、………(注:実際には「やかまし村」には選挙の話など出てきません)。

 東弁村の大人たち(注:45歳以上を指す)は選挙が大好きです。毎年一度、2月の選挙で村長と6人の副村長を選ぶ選挙があります。大人たちはこの選挙のために、集落(注:派閥のこと)ごとに夏ころから会合を重ねて候補者を見つくろいます。

 東弁村には大きな集落が3つあります。一番大きいのが法友(ほうゆう)集落。次に大きいのが親和(しんわ)集落。3番目が期成(きせい)集落。本当は4番目に水曜集落という集落があるのですが、ほかの3つに比べて非常に小さな集落なのと、変わり者が多いという評判があることから、ほかの集落の人とはあまりそりが合わないようで、仲間はずれにされていることも多いようです。

 聞いた話だと、昔は親和集落が最も人口が多く、毎年村長は親和集落から出していたそうです。しかし、親和集落の人たちの横暴に腹を立てたほかの小さな集落が連合して法友集落をつくり、いつしか親和集落より人口が多くなったため、今では法友集落の意見が最も強い力を持っているようです。

 期成集落というのは、最も新しい集落です。聞いた話では、期成集落の創始者の人たちは、「集落ごとに集まって暮らし、他の集落の人を排除するような考え方はおかしい」と考え、期成集落を作って移り住んだそうです。でも、集落ごとに集まって暮らすのがおかしいと言いながら、期成集落を作って集まって暮らしているので、結局何が言いたかったのか私にはよくわかりません。

 先ほども触れたように、法友集落は、元が小さな集落の集まりなので、今でも実際には小さな集落の集まりに別れています。何と、11個もあります。11個の集落には、それぞれ名前がありますが、わかりやすいように1から12までの番号が付けられています。例えば、私の住んでいる春秋集落は法友集落の8班です。

 ちなみに9班という集落はありません(欠番です)。それから、7班という集落も昔は欠番だったそうですが、10数年前に8班の中で内輪もめがあり、怒って8班を出ていってしまった人たちが移り住んだ人たちが今では7班を名乗っています。7班は非常に人口が少ないし、法友集落の会合にも出ていかないため、他の集落の人には相手にされていないと聞いています。

 あー疲れた。派閥の説明をし直しただけで長くなってしまいました(^^;続きは次回で。




12月13日 (プチ日誌)


 プチ日誌すら連載が止まっていてすみません。
 年末ということで、仕事は忙しいわ、会務は忙しいわ、忘年会は毎日あるわで、ちょっとグロッキー気味(^^;